教養の経済学でもわかる貧困と市場の問題

47thさんといっしょに経済発展と国際経済学の勉強をすることになった。大学の教養部で研究会に入ったとき以来のワクワク*1。お勉強まえに、手持ちの道具でいえそうなことを整理する。

とっても短い(当社比)ミクロ経済学の復習

勉強前に学部のミクロ入門か、教養の経済学レベルでわかるレベルのことを整理。あるひとつの商品の完全競争市場を仮定する。

完全競争市場とは、商品の品質が均一で、売り手も買い手もやたら多い(理論的には無限大)の市場を考える。商品の品質が均一なので、買い手は売り手を区別する必要もないし、品質競争なり、買い手と売り手の間での情報の非対称性などの問題もない。また、この状況では、買い手も売り手も市場全体にくらべゴミのような購買量、販売量しかさばけないので、独占や寡占のような価格に対する支配力を一切失う。したがって、買い手も売り手も、市場で決まった価格を受け入れる、いわゆるプライス・テイカーとなる。つまり、この市場では、いかなる人も値札を貼るような行動をせず、ほとんど唯一の選択は市場できまった価格に対して何個売るか、何個買うかきめることである。

ここで、ビールの市場でのosakaecoの行動を考えよう。彼は一本めのビールはとってもうまいので、1000円の値打ちがあると考えている。二本めのビールは500円の値打ちがあると考える。3本めのビールは150円である。これは次のように言い替えられる。1本めのビールによって、うれしさが1000円分増える。2本めのビールによってうれしさが500円分増える。3本めのビールによってうれしさが150円増える。このように一個一個ごとの商品によって増える消費者のうれしさを金額であらわしたものを限界便益という。

このとき、ビールの市場価格が1000円を越えていれば、彼はビールを一本もかわない。1本めから3本めのビールの彼にとっての値打ち以上でビールが売られているからである。1000円から500円の間であれば、ビールを1本買う。この場合、ビールの市場価格は1本めのビールの彼にとっての値打ちより低く、2本め以降のビールの彼にとっての値打ちより高いからである。ビールの値段が500円と150円円の間であれば、彼はビールを2本買う。ビールの市場価格は1本めと2本めのかれにとってのビールの値打ちより低く、3本め以降のかれにとってのビールの値打ちより高いからである。

つまり、osakaecoにかぎらず、人々は一個一個ごとの商品の値打ち、つまり、限界便益が市場価格を上回っているかぎり、商品を買い、したまわっている商品は買わない。このことから、すべての消費者に関して、高い値の順に横軸を累計数、縦軸に限界便益を並べたグラフは市場価格と市場で買われる商品の個数、つまり、商品の需要量を対応づけたグラフ、つまり需要曲線となる。

売り手に関して、同様に売り手が商品一個一個ごとにうってもいいとおもう値段を低い順にならべて、供給曲線が描ける。売り手がある一つの商品をうってもいいと考えるのは、その商品を一個よけいに作るときにかかる費用がその商品の市場価格を下回っているときであるから、売ってもいいと思う値段は商品を一個よけいに作るのにかかる費用、つまり限界費用をあらわす。

市場で取り引きされる数量と市場価格は需要曲線と供給曲線の交点で決まる。したがって、市場で取り引きされている商品のうち、もっとも限界便益の低い商品ともっとも限界費用の高い商品について、限界便益と限界費用はほぼ等しい。じつはこの数量は限界便益の総計から生産に要した費用の総計を差し引いたものを最大化する数量である。もし、限界便益が限界費用をおおきく上回っていれば、それより、限界費用がすこしだけ高く、限界便益が少しだけ低い商品をつくることで、便益マイナス費用を増やすことができる。逆ならば、限界費用が限界便益を上回っている部分の取り引きをやめることで便益マイナス費用を増やすことができる。増やす余地があるということは、そこは最大点ではない。

ここまでの説明がわからないひとは伊藤元重『入門経済学』、マンキュー『マンキュー経済学ミクロ編』、奥野正寛『ミクロ経済学入門』の一章(貧乏人むけ、かつ、一番短い)の関係ありそうなところを読んでください。ここの文脈と関係で私が一番のお薦めは伊藤『入門経済学』か、それとほとんど同じ説明の伊藤『ミクロ経済学』である。

入門 経済学

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マンキュー経済学〈1〉ミクロ編

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ミクロ経済学入門  日経文庫―経済学入門シリーズ

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ミクロ経済学

ミクロ経済学

交換の利益

ビールが経済の中で生産されるのではなく、神さまが人々にめぐんでくれるとしよう。ここでもビールには市場価格がついているとしよう。神さまは気まぐれなので、ビールは必ずしもビール好きの人にビールを配ってくれるわけではない。したがって、市場価格より限界便益が低い人はビールを市場で売る。これは市場においてはビールの供給である。ビールの量が不十分で、追加的なビールの購入でビールを買える人はビールを市場から買おうとする。これはビールの需要である。この取り引きで需要量と供給量が一致する数量において、ビールを購入出来た人の買ったビールの限界便益の総計から売られたビールの限界便益の総計は最大になる。これは交換の利益といえる。

大体、新古典派の経済学の教科書の市場経済の特徴に関する議論のほとんどはこの枠組(一つの市場しか見てないので部分均衡分析という)でもそれなりに説明できる。もちろん、全ての市場を一括して扱う一般均衡分析でないとできない議論があるのは当然だが*2、単純なモデルの強力さ、有用性は山形浩生のエッセーや彼の翻訳したクルーグマンのものを読んだことのあるひとなら実感できると思う。

市場は効率的だが平等ではない

市場は便益から費用をさしひいたものを最大化する意味で効率的で、この特徴は今の一市場のみ見た分析市場は便益の意味では平等である。限界便益、あるいは便益は金持と貧乏人について不平等だからである。

同じ商品の好みを持った二人の人がいて、片方はまともな水道がないところにすんでいて、ミネラルウォーターを買わなくてはならない。もう一人は金持で、ペットの犬にはミネラルウォーターを飲ませたい。常識的には貧乏な人間のほうが、ミネラルウォーターへの切実な欲求をもっているとみなせるだろう。しかし、ここでの便益とはあくまでいくらお金を支払う用意があるかということなので、金持のほうのミネラルウォーターの限界便益のほうが高いことは十分にありえる、というか、普通そうなるだろう。このとき、市場価格が貧乏人の限界便益と金持の限界便益の間にあれば、貧乏人は水が飲めずに死んでしまう。

貧困と効率性

前に書いたが、私は先進国の豊かさと発展途上国の飢餓を含む食糧問題の併存の不合理さを感じてきた。経済学をしているにもかかわらず、自分であまり整理して考えたことがなかった。多分、その不合理さを整理すると次のように説明できるだろう。

このグラフは横軸に太郎さんの所得、横軸は次郎さんの所得をあらわしている。点Oは市場取り引きのない状態の点Aは市場のある状態を表している。点Aを通る曲線の内側は技術的に達成できるすべての社会状態をあらわしている。その社会状態が曲線上にあるということはA, Bいずれも同時に所得を増加させる余地がないと言う意味で効率的(パレート効率的)である。市場の導入は、曲線の内側から、太郎さんと次郎さんの所得をともに増加させながら、経済の状態を効率的な状態にする。つまり、点Oから点Aのような点へ、経済を移動させる。

ところが、太郎さんは所得がグラフの直線lより右側にないと飢餓状態になるとしよう。曲線の内側かつ、直線lの右側の領域はすべて技術的には太郎さんの飢餓を防げる領域にある。(右下すぎると次郎さんも飢餓になってしまうのだが。)

理想的なのは、効率性をみたしながら、Aさんの所得が飢餓状態以上の状態、つまり、曲線上かつ、直線lより左側にくることである。しかし、市場経済の状態をいじる政策は効率性を損なう可能性高い。たとえば、次郎さんに所得税を課して、太郎さんの所得を飢餓水準以上にしようとしたとしよう。所得税は勤労意欲をそこない、効率性はみなされなくなる。つまり、太郎さんは所得はふえるが、経済は効率性の満たされない曲線の内側にくる。しかし、これは許容すべき非効率性であると私は感じる。

経済は太郎さんと次郎さんともに飢餓水準以下か、二人とも飢餓水準以上になる領域がとても小さな状況もありうる。そのときは曲線をまず外側に広げる政策、すなわち、成長政策は支持しうるだろう。しかし、現在の先進国と発展途上国の関係はそうではない。先進国の人間が牛肉をやめて鶏肉をたべるようにするだけで、余った飼料用の大豆で少なくとも飢餓は解決できるであろう。すくなくとも生産力の問題としては食糧問題は解決済みなのである。

これはほんとうに机上の空論である。しかも、書くにはそこそこ時間を費したが(お絵書き込)考えるのには10分くらいで山形さんなら、「おおーえらいね。でもみんな知ってることよ。そんなことブログに書くひまあったら論文書け」とかいやみいわれるのことうけあいである。でもブログなんだし、そういわんかて。(といわれる前から防御の構え)

*1:そのときの科学史研究会の鬼頭秀一先生が東大の先生になっちゃたよー。もう偉くなっちゃって、顔がトロツキーに似ているとか(研究会の宣伝で先生はトロツキストですとハンドマイクでいって怒られた)、鬼頭ですとセールスのおばさんにいうと「亀ですかおめでたいですね」とよくいわれる(本人談)とかくだらん話ができん。

*2:個人的には、外部性の相互依存性についての議論が重要だと思う。環境問題などに関する教科書的な議論がひっくりかえる可能性がある。その観点から独占と知識の外部性をあつかったローマーの成長モデルは示唆的な業績と思う。