今の英語入試ってTOEICや英検より公平なの?

共通テスト英語の改革が頓挫したころに書いたものが、下書き置き場からでてきたので、ついでにアップ

一発入試はギャンブル

共通テスト入試英語の改革のことで見識のあるみなさんがいろいろと声をあげていらっしゃいます。基本的な疑問なんですが、いまの大学入試って、TOEICとか英検より公平なんでしょうか。

一発入試では点差がつかなくてはならない

どこの大学も基本的に一発入試、共通テスト試験をふくめてもたった2回の入試で学生を選抜しています。受験生が多数の場合にこの方法で学生を選抜する時点で公平性をたもつのは無理です。

ちょっと考えてみましょう。入試の競争率が1.5倍(66.6%が合格)のときに、受験生の9割が100点をとれる問題を出題したとしましょう。競争率が1.5倍のときに入試の目的をはたすためには33.3%の学生を不合格にしなくてはなりません。ところが、このケースではトップの学生と点差がある学生が10%しかいないので、満点の90%の学生をくじ引きで選抜するくらいしか、公平な選抜をする方法がありません。ここで想定しているような満点がたくさんでるという極端なケースでなくても、点差がつきにくい問題を出題すれば、合格ライン上で多数の受験生が同点になり、点数のみで合否を判定できない問題が発生します。

学生の一生を決める入試という場面でくじ引きを導入するのは、世間からはちょっと受け入れられないように思います。(あとで、こっちのほうが実際上はよっぽど公平だという理由をのべます。)多分そのこともあって、ほとんどは点差がつくような問題を出題することで対応しています。

点数が学力を正確に測定できて、それがおおきな点差に反映する問題は頑張れば作れるのかもしれません。しかし、ほとんどの大学はそのような問題を作成できるスキルを意識的かつ組織的には蓄積していません。それをしているのは、大学の外を探しても、模擬試験を主催している予備校と大学入試センターくらいなんじゃないでしょうか。

点差をつけるには”物知り大会”が簡単

安易に点数に差がつく問題をつくる方法は、ようするに教科書にのっていなかったり、隅っこにしか書いていない問題を出題することです。英語でいえば、受験生の大半が知らないであろう単語、熟語、語義の知識を問う問題、数学でいえば、その大学を受験する学生がほとんどが見たことがないであろう種類の問題を出題することです。高校入試を含めて、学校の期末・中間試験よりも入試問題が難解なのは、学力を測る必要性以上に点差をつける必要性があるからでしょう。ただ、あまりあくどい点差のつけかたをすると文科省からイヤミをいわれることもあって、多分、それぞれの問題を学生の3割から4割くらいがどうがんばっても解けないくらいに設定しているケースがおおいんじゃないでしょうか*1

このての入試問題は、「入試前の一週間にたまたま、よんだ文章にでていた単語がでた」とか、「直前の模試ににたような問題が出題された」とかいったギャンブル的要素に左右されやすくなります。

いいかえれば、この手の入試問題においては、同程度の学力であっても、点差が開くことが普通です。つまり、学力を正確にはかるテストになっていません。テストの結果が学力だけではなく、ギャンブル的要素に左右されるからです。

とりわけ、このての入試問題は、大学生の学力低下問題でされていることにかかわるような学力をはかるには適していないものになりがちです。低下しているといわれている学力のなかみは、教科書の内容を理解して基本的な問題がとける、とか、平均的な高校生が知っている単語で書かれている文章を基本的な文法をふまえてよむといったものでしょう。なのに、入試問題は平均的な受験生がしらないこと、基本であるよりは、教科書のすみっこにしかかかれてないこと、そもそもかかれていないことにかたよります。また、そのような学力をはかれないだけではなく、そのような学力をつける努力から受験生を逸脱させる危険性もあります。

このギャンブルで”あたる”確率をたかめる安直かつ確実な方法は、入試問題にとにかくいっぱいあたったり(かつ、理解できないことがらは暗記する!!)、あるいは、やみくもに単語集や熟語集を丸暗記することです。これらは、本当の意味の学力を上げるのにもある程度、貢献するでしょう。しかし、基本的な事項をゆっくり理解するといった勉強への動機づけをそぐことにもなっているのではないでしょうか。微分の計算ができるけど、中学校で習う一次関数の傾きや、小学校でならう比例の意味をしらないといった学生をうむ原因になっているように感じます。

実際、ギャンブルとして見れば、まっとうな学力をあげる努力をした受験生よりも、たくさんの単語・熟語・解答パターンをつめこんだ受験生のほうが有利になりやすい状況、すくなくとも有利とかんじられやすい状況があります。

学力と関係ない要因がギャンブル的側面をつよめる

たぶん、ほとんどの大学では、3割から4割の受験生ががんばってもとけない種類の問題を中心に出題するくらいでは十分に点差がつかないのが現状なのではないでしょうか。その結果、ある一つの小問がたまたま解けたかどうかのようなことが合否を大きく左右することになっています。じっさい、3科目300点満点で、合格者と不合格者の点差が1点なんてことはふつうにあるとおもいます。純粋な”物知り大会”としても、現在のほとんどの大学の入試は雑すぎます。

ギャンブル性をさらにつよくするのが、いわゆる受験生のコンディションです。入試は体力勝負の側面があります。入試の経験があるひとならおもいだせるとおもいますが、入試当日に長時間、緊張しながら入試問題に取り組むのは相当体力を使うことです。体力ないけど学力はあるタイプの受験生には不利なうえ、入試の日にたまたま体調がよいかどうかが結果を大きく左右します。

それだけでなく、小問の1問解けたかどうかが合否を決する場面ではどうでもいいことことが大きく影響します。列車やバスが遅れてドキドキしてしまって、入試がはじまっても気持ちが落ち着かなったなんて普通にあるでしょう。その科目の直前の昼食のハンバーグ弁当のソースが苦手なデミグラスソースだったので頭に来た気分で試験会場に入ってしまってイライラして頭がまわらないみたいなどうでもいい要因で不利になったりします。

こういうことを乗り越えるのも、人生経験として重要みたいなことをいう人もいるかとおもいます。もしそうなら、学力を測るテストに加えて、体力測定や、時間内に自宅から大学にたどり着く競技とか、複数のコンビニや定食屋をまわって、自分の好物を探す競技をとりいれることを主張されてはとおもいます*2

いまの入試はギャンブル的要素がおおきすぎて、適正な学力を測定できていないというのが私の結論です。以上はあらい推論ですが、根拠は大学の関係者ならだれでもしっていて、一般のひとでもおおくのひとが感じている事実です。なのに、いままでこの面での大学への批判が少なかったのはどうしてでしょう。それは、日本人全体が学歴信仰に洗脳され、大学入試は公平だという信念を前提に社会が回ってきたからではという気がしています。

一発入試で、合格者が確実にある水準の学力に到達していることを保障するには、私はくじ引きの導入は有力な手段だとおもっています。無理のない入試問題によってある学力水準を達成していると判断できる受験生を合格者の候補として、その候補者の中から、くじ引きで合格者を選抜するのです。これは、たしかに、合格者とおなじ学力でも不合格になる可能性があるので不公平さがありますが、これまで説明したギャンブル的要素のためにこの不公平さよりも同等以上の不公平さが実際には発生していると思います。

また、基本的に、一発テストでなんらかの基準で一定の学力を達成していることを正確に見るには、一定の学力以上の受験生は(ケアレスミスを考慮して)8割、9割くらいとける問題でなければ、ギャンブル性が排除できないというのが私の実感です*3。いままでの議論でわかるとおり、このての問題で入試をすれば、ほとんどの大学で当落線上の同点者がたくさんでます。それでもな一発入試で合否判定しようとすれば、くじ引きの導入は不可欠に近いものだと感じています。(この点でいうと英検のペーパー試験の合格点が6割ないし7割というのは、ちょっとザルなのではとも感じています。)

くじ引き導入の是非はべつとして、現在の一発入試が公平というにはあまりにもギャンブル性のつよいものであることは確実だとおもいます。

TOEICや英検よりも一発入試は公平なの?

少なくとも、TOEICなりの素点ではなく、"CEFR A2" 以上なりの基準はギャンブル的要素が強い一発入試より、一定の学力を担保する上で公平である可能性はたかいとかんじます。英語の専門家ではないので断言するつもりはありませんが、ギャンブル性の強い入試の英語のテストでの100点満点の10点差より、英検3級と凖2級の差のほうが、まっとうな学力の差をあらわしているようにかんじています。また、4月から12月まで複数回受験できるのは、一発テストでないだけギャンブル性を多少は排除しているとかんじます。たしかに、つかい方しだいの面はありますが、現在の入試のギャンブル性をうすめるために導入を検討することは十分に意味があるとかんじます。

とにかく、いまの入試はクソ

上記を強く結論づけようとは、じつは、おもっていません。ながながとかいた動機の一番は、大学関係者のおおくの発言に現在の入試制度がクソであることへの反省がかんじられないことです。ちょっとかんがえれば、現在の入試がギャンブル的要素がつよいものだし、今回の改革も、その問題の解決をめざした方向は明確です。現在のクソな入試の改善案なり、改善の方向、最低でも、いままでの入試がクソであることへの反省がなければ、全然世間にはひびかないとかんじています。(残念なことに、日本人全体への「大学入試は公平だ」という洗脳のおかげで、大学がてぬきできている傾向もあるのですが。)

それと、声をあげているエラい先生方のおおく所属している有名大学ではなく、もっと平均学力のひくい大学の入試についていえば、英検やTOEICより質のひくい問題を出題している(出題せざるをえない)大学は相当あるのではとかんじます。(ここは実情を知らないので、推測です。すみません。)そのあたりの大学の状況への配慮も必要ではとかんじます。偏差値60位上の大学の大学生と同数だけ、偏差値40以下の大学の大学生がいることをわすれてはなりません*4。そのあたりの大学の入試を質をあげ、受験生がまっとうな学力をつけることに資するかをかんがえる必要があります。

最後ですけど、どの本かわすれてしまったのですが、とりわけくじ引きのアイディアにかんして、亡くなられた森毅氏の議論に強い影響をうけています。

*1:また、むづかしくしすぎると、逆に点差がつかなくなる問題もあります。

*2:じっさい、大学在学中の勉強よりも、運動部がんばったみたいなののほうを就職で重視する企業の感覚って、学力より人生経験を重視することなのかもしれません。

*3:このてののテストではかれない学力があることは、別途考える必要があります。卒業後、英語のプロパーになる可能性が高い学部での英語入試、数学科、物理学科の数学入試では、その分野で要求されるカン、なり、センスなりといったものを測定する必要があるでしょう。ただ、これらの能力も8割基準のペーパーテストで測れるような基礎的な学力とのつながりが重要であることを考えれば、8割基準のペーパーテストで測定できる学力をある程度の比重で考慮にいれることは必須だとかんじます。また、このような学力の測定が主観的なものになりがちなことも配慮が必要なことがらです。

*4:この単純な数学的事実が理解できてないバカがおおすぎます。