今の英語入試ってTOEICや英検より公平なの?

共通テスト英語の改革が頓挫したころに書いたものが、下書き置き場からでてきたので、ついでにアップ

一発入試はギャンブル

共通テスト入試英語の改革のことで見識のあるみなさんがいろいろと声をあげていらっしゃいます。基本的な疑問なんですが、いまの大学入試って、TOEICとか英検より公平なんでしょうか。

一発入試では点差がつかなくてはならない

どこの大学も基本的に一発入試、共通テスト試験をふくめてもたった2回の入試で学生を選抜しています。受験生が多数の場合にこの方法で学生を選抜する時点で公平性をたもつのは無理です。

ちょっと考えてみましょう。入試の競争率が1.5倍(66.6%が合格)のときに、受験生の9割が100点をとれる問題を出題したとしましょう。競争率が1.5倍のときに入試の目的をはたすためには33.3%の学生を不合格にしなくてはなりません。ところが、このケースではトップの学生と点差がある学生が10%しかいないので、満点の90%の学生をくじ引きで選抜するくらいしか、公平な選抜をする方法がありません。ここで想定しているような満点がたくさんでるという極端なケースでなくても、点差がつきにくい問題を出題すれば、合格ライン上で多数の受験生が同点になり、点数のみで合否を判定できない問題が発生します。

学生の一生を決める入試という場面でくじ引きを導入するのは、世間からはちょっと受け入れられないように思います。(あとで、こっちのほうが実際上はよっぽど公平だという理由をのべます。)多分そのこともあって、ほとんどは点差がつくような問題を出題することで対応しています。

点数が学力を正確に測定できて、それがおおきな点差に反映する問題は頑張れば作れるのかもしれません。しかし、ほとんどの大学はそのような問題を作成できるスキルを意識的かつ組織的には蓄積していません。それをしているのは、大学の外を探しても、模擬試験を主催している予備校と大学入試センターくらいなんじゃないでしょうか。

点差をつけるには”物知り大会”が簡単

安易に点数に差がつく問題をつくる方法は、ようするに教科書にのっていなかったり、隅っこにしか書いていない問題を出題することです。英語でいえば、受験生の大半が知らないであろう単語、熟語、語義の知識を問う問題、数学でいえば、その大学を受験する学生がほとんどが見たことがないであろう種類の問題を出題することです。高校入試を含めて、学校の期末・中間試験よりも入試問題が難解なのは、学力を測る必要性以上に点差をつける必要性があるからでしょう。ただ、あまりあくどい点差のつけかたをすると文科省からイヤミをいわれることもあって、多分、それぞれの問題を学生の3割から4割くらいがどうがんばっても解けないくらいに設定しているケースがおおいんじゃないでしょうか*1

このての入試問題は、「入試前の一週間にたまたま、よんだ文章にでていた単語がでた」とか、「直前の模試ににたような問題が出題された」とかいったギャンブル的要素に左右されやすくなります。

いいかえれば、この手の入試問題においては、同程度の学力であっても、点差が開くことが普通です。つまり、学力を正確にはかるテストになっていません。テストの結果が学力だけではなく、ギャンブル的要素に左右されるからです。

とりわけ、このての入試問題は、大学生の学力低下問題でされていることにかかわるような学力をはかるには適していないものになりがちです。低下しているといわれている学力のなかみは、教科書の内容を理解して基本的な問題がとける、とか、平均的な高校生が知っている単語で書かれている文章を基本的な文法をふまえてよむといったものでしょう。なのに、入試問題は平均的な受験生がしらないこと、基本であるよりは、教科書のすみっこにしかかかれてないこと、そもそもかかれていないことにかたよります。また、そのような学力をはかれないだけではなく、そのような学力をつける努力から受験生を逸脱させる危険性もあります。

このギャンブルで”あたる”確率をたかめる安直かつ確実な方法は、入試問題にとにかくいっぱいあたったり(かつ、理解できないことがらは暗記する!!)、あるいは、やみくもに単語集や熟語集を丸暗記することです。これらは、本当の意味の学力を上げるのにもある程度、貢献するでしょう。しかし、基本的な事項をゆっくり理解するといった勉強への動機づけをそぐことにもなっているのではないでしょうか。微分の計算ができるけど、中学校で習う一次関数の傾きや、小学校でならう比例の意味をしらないといった学生をうむ原因になっているように感じます。

実際、ギャンブルとして見れば、まっとうな学力をあげる努力をした受験生よりも、たくさんの単語・熟語・解答パターンをつめこんだ受験生のほうが有利になりやすい状況、すくなくとも有利とかんじられやすい状況があります。

学力と関係ない要因がギャンブル的側面をつよめる

たぶん、ほとんどの大学では、3割から4割の受験生ががんばってもとけない種類の問題を中心に出題するくらいでは十分に点差がつかないのが現状なのではないでしょうか。その結果、ある一つの小問がたまたま解けたかどうかのようなことが合否を大きく左右することになっています。じっさい、3科目300点満点で、合格者と不合格者の点差が1点なんてことはふつうにあるとおもいます。純粋な”物知り大会”としても、現在のほとんどの大学の入試は雑すぎます。

ギャンブル性をさらにつよくするのが、いわゆる受験生のコンディションです。入試は体力勝負の側面があります。入試の経験があるひとならおもいだせるとおもいますが、入試当日に長時間、緊張しながら入試問題に取り組むのは相当体力を使うことです。体力ないけど学力はあるタイプの受験生には不利なうえ、入試の日にたまたま体調がよいかどうかが結果を大きく左右します。

それだけでなく、小問の1問解けたかどうかが合否を決する場面ではどうでもいいことことが大きく影響します。列車やバスが遅れてドキドキしてしまって、入試がはじまっても気持ちが落ち着かなったなんて普通にあるでしょう。その科目の直前の昼食のハンバーグ弁当のソースが苦手なデミグラスソースだったので頭に来た気分で試験会場に入ってしまってイライラして頭がまわらないみたいなどうでもいい要因で不利になったりします。

こういうことを乗り越えるのも、人生経験として重要みたいなことをいう人もいるかとおもいます。もしそうなら、学力を測るテストに加えて、体力測定や、時間内に自宅から大学にたどり着く競技とか、複数のコンビニや定食屋をまわって、自分の好物を探す競技をとりいれることを主張されてはとおもいます*2

いまの入試はギャンブル的要素がおおきすぎて、適正な学力を測定できていないというのが私の結論です。以上はあらい推論ですが、根拠は大学の関係者ならだれでもしっていて、一般のひとでもおおくのひとが感じている事実です。なのに、いままでこの面での大学への批判が少なかったのはどうしてでしょう。それは、日本人全体が学歴信仰に洗脳され、大学入試は公平だという信念を前提に社会が回ってきたからではという気がしています。

一発入試で、合格者が確実にある水準の学力に到達していることを保障するには、私はくじ引きの導入は有力な手段だとおもっています。無理のない入試問題によってある学力水準を達成していると判断できる受験生を合格者の候補として、その候補者の中から、くじ引きで合格者を選抜するのです。これは、たしかに、合格者とおなじ学力でも不合格になる可能性があるので不公平さがありますが、これまで説明したギャンブル的要素のためにこの不公平さよりも同等以上の不公平さが実際には発生していると思います。

また、基本的に、一発テストでなんらかの基準で一定の学力を達成していることを正確に見るには、一定の学力以上の受験生は(ケアレスミスを考慮して)8割、9割くらいとける問題でなければ、ギャンブル性が排除できないというのが私の実感です*3。いままでの議論でわかるとおり、このての問題で入試をすれば、ほとんどの大学で当落線上の同点者がたくさんでます。それでもな一発入試で合否判定しようとすれば、くじ引きの導入は不可欠に近いものだと感じています。(この点でいうと英検のペーパー試験の合格点が6割ないし7割というのは、ちょっとザルなのではとも感じています。)

くじ引き導入の是非はべつとして、現在の一発入試が公平というにはあまりにもギャンブル性のつよいものであることは確実だとおもいます。

TOEICや英検よりも一発入試は公平なの?

少なくとも、TOEICなりの素点ではなく、"CEFR A2" 以上なりの基準はギャンブル的要素が強い一発入試より、一定の学力を担保する上で公平である可能性はたかいとかんじます。英語の専門家ではないので断言するつもりはありませんが、ギャンブル性の強い入試の英語のテストでの100点満点の10点差より、英検3級と凖2級の差のほうが、まっとうな学力の差をあらわしているようにかんじています。また、4月から12月まで複数回受験できるのは、一発テストでないだけギャンブル性を多少は排除しているとかんじます。たしかに、つかい方しだいの面はありますが、現在の入試のギャンブル性をうすめるために導入を検討することは十分に意味があるとかんじます。

とにかく、いまの入試はクソ

上記を強く結論づけようとは、じつは、おもっていません。ながながとかいた動機の一番は、大学関係者のおおくの発言に現在の入試制度がクソであることへの反省がかんじられないことです。ちょっとかんがえれば、現在の入試がギャンブル的要素がつよいものだし、今回の改革も、その問題の解決をめざした方向は明確です。現在のクソな入試の改善案なり、改善の方向、最低でも、いままでの入試がクソであることへの反省がなければ、全然世間にはひびかないとかんじています。(残念なことに、日本人全体への「大学入試は公平だ」という洗脳のおかげで、大学がてぬきできている傾向もあるのですが。)

それと、声をあげているエラい先生方のおおく所属している有名大学ではなく、もっと平均学力のひくい大学の入試についていえば、英検やTOEICより質のひくい問題を出題している(出題せざるをえない)大学は相当あるのではとかんじます。(ここは実情を知らないので、推測です。すみません。)そのあたりの大学の状況への配慮も必要ではとかんじます。偏差値60位上の大学の大学生と同数だけ、偏差値40以下の大学の大学生がいることをわすれてはなりません*4。そのあたりの大学の入試を質をあげ、受験生がまっとうな学力をつけることに資するかをかんがえる必要があります。

最後ですけど、どの本かわすれてしまったのですが、とりわけくじ引きのアイディアにかんして、亡くなられた森毅氏の議論に強い影響をうけています。

*1:また、むづかしくしすぎると、逆に点差がつかなくなる問題もあります。

*2:じっさい、大学在学中の勉強よりも、運動部がんばったみたいなののほうを就職で重視する企業の感覚って、学力より人生経験を重視することなのかもしれません。

*3:このてののテストではかれない学力があることは、別途考える必要があります。卒業後、英語のプロパーになる可能性が高い学部での英語入試、数学科、物理学科の数学入試では、その分野で要求されるカン、なり、センスなりといったものを測定する必要があるでしょう。ただ、これらの能力も8割基準のペーパーテストで測れるような基礎的な学力とのつながりが重要であることを考えれば、8割基準のペーパーテストで測定できる学力をある程度の比重で考慮にいれることは必須だとかんじます。また、このような学力の測定が主観的なものになりがちなことも配慮が必要なことがらです。

*4:この単純な数学的事実が理解できてないバカがおおすぎます。

年金生活者のパソコンの買い替えはChromebookで

年金生活者とパソコンの買い替え

みなさま、5年間留守にしてすみません。5年もたって、職場でも誰からも若手あつかいを絶対してもらえない今日この頃なのです。もう、アラウンド還暦なのであります。

そうすると、同僚とか、お世話になった先生とかが、どんどん年金生活に突入してます。そういう人に個別に説明するのが面倒なので、この記事を書いています。

日本人全体の健康寿命がのびて、アラカン(アラウンド還暦のこと)の私なんかより精力的に研究なり社会活動なり、現役か、それ以上の密度で頑張っておられる元同僚、恩師がさくさんいます。ただ、そういう皆さんは、なんだかんだいっても現役の頃よりもお金がないので、パソコンを買い替えるのが大変なのです。かつてのPC-9801の頃なら、40万くらいで買ったパソコンを15年くらいつかうのが普通だったのですが、現在は、長くても、Windowsのバージョンが上るタイミングくらいで買い替えるのが、普通になっています。年金の中から、10万とか、20万とか支出するのは大変です。

パソコン業界は、Windowsのアップデートという独占の優位性をつかった商法によって、マイクロソフトだけでなく、インテルとか、パソコンメーカーで結託して定期的に税金のようにお金を稼ぐビジネス・モデルで成り立っているかのように見えます。私の妄想でなければよいのですが。

年金生活者の皆さんは、それに対抗する必要があります。この数年のうちにWindows10を使い続けることはできなくなるのですが、活動的なみなさんにとっては、メールや文書作成、エクセルでのもろもろの計算をしつづけなければなりません。でも、そのために10万とか20万とかの支出をせずにすませたいはずです。

Chromebookとはなにか

そこでChromebookです。Chromebookはマイクロ・ソフトのWindowsではなく、googleが開発しているChromeOS上で動くパソコンです。最初のバージョンが90年代のWindowsとちがって、このOSは最近になって開発されおり、Windowsのレガシーな部分がないために、性能の低いパソコンでも楽々動きます。そのため、LenovoとかHPとかの一流メーカーの新品を余裕で4万くらいで買えます。アマゾンとかセールスの時期を狙えば、2万で入手することも可能です。OSが軽いこともあって、2万円で入手可能な機種も楽々動きます。

ちょっとパソコンいじりが得意で、Vistaとか、Windows 7とかの古いパソコンが押し入れにころがっているという方なら、もっと安く入手することができます。ChromeOS FlexというChrome OSのバージョンがあって、それは、古いパソコンにインストールして使うことができます。メモリが4ギガあり、できれば、4コア以上のCPUならなんとかなるんじゃないでしょうか。これは、現在のChromebookの標準的なスペックです。ハードディスクの容量は200Gあれば十分です。32GのChromebookが普通にうられていますので。

Chromebookでできないこと

悪いお知らせをすると、Chromebook上でMicrosoft officeを少なくともWindowsと同じ使い勝手で使用することはできません。使えるソフトウェアは、Windowsとほぼ同じ使い勝手のgoogle chromeブラウザと、そのWebアプリ、AndroidスマホのOS、Linuxのソフトです。ChromeOS用のマイクロソフトオフィスもあり、たとえば、中身はほとんどChromebookであるAmazon Fire 10などは、買った状態でChromeOS版のMicrosoft Officeが入っています。Windowsとの完全な互換性は期待できないかもしれませんが、それを買ってしまうのも手です。(ごめんなさい事実誤認がありました。)

ChromeOS版のMicrosoft officeを買わなくとも、Chromebookでは、オフィスのファイルをクリックすると、googleデスクトップがたちあがって、そのファイルを読みこんでくれます。もらったファイルの内容を確認する用途なら十分ですし、レイアウトの正確さが要求されるのなら、先方にpdfも送ってくれるように依頼すればよいでしょう。

ただ、google表計算はちょっともたつく感じがあって、私なんかはストレスを感じてしまいます。そのような人は、スマホ版のWPS officeを入れるのがよいかと思います。WPS OfficeはMicrosoft officeときわめて互換性の高いソフトで、VBAつまりマクロ機能さえつかわなければ、十分にMicrosoft officeの代替になります。

PC-9801のころから、テキストファイル中心に作業をしている方なら、以上の注意は必要ありませんね。linuxが動きますので、awkやらsedやらgrepやらが使い放題です。(ただ、端末上での日本語変換の設定がちょっと大変です。)

また、仕事でLinuxを使っていた方は、こんな記事必要ないですね。MicrosoftVS codeの流行を尻目に、5世代前くらいのPCで、太古からの伝統のviとかEmacsとかTeXでがんがん仕事をしてください。

教育とChromebookとデジタル・デバイド

研究を続けている皆さんにちょっと関心をもってもらいたいのは、Chromebookは、インターネット社会のデジタル・デバイドから子どもたちを救おうといういくつかの試みの成果を営利企業、それも、世界的な大営利企業(この表現ですらとてもひかえめです)であるgoogleが商業化する形でできあがっていることです。

Chromebookの安価なハードウェアの原型は2000頃くらいに少し流行しかけたネットブックでしょう。(安価なスマホの製造技術の影響も無視できません。)そのネットブックのスペックに大きな影響を与えたのは、MITのOpen Laptop per Chilp (OLPC)です。この運動は、発展途上国の子どもたちに100ドルの独自開発したPCを配付しようとし、実際に配付もされましたが、そのスペックをパクったネットブックが流通したこともあったのでしょう、2010年以降は配付が停止しています。

OLPC自体は、私からはみれば停滞にうつりますが、ハード的には、OLPCネットブックの末裔である安価なChromebookは日本のギガスクール構想でも、多くの学校で採用されています。Chromebook自体が教育分野でシェアを伸ばしています。

さきほどあげたChromeOS Flexは予算の少ないアメリカの学校に対して、いらなくなった古いPCにChromeOSをインストールして教育環境をととのえる活動から生れました。文字通り教育目的の活動の直接的成果です。それをリードしていた企業の資産をgoogleが買い上げる形で、google本体の事業となりました。

教育目的とはいえませんが、ChromeOSのカーネル(OSの根幹部分)はオープンソースLinuxです。Chrome OSのアプリの中心部分であり、Microsoft Edgeブラウザの土台であるGoogle Chromeブラウザもオープンソースを土台にしていますが、営利企業であるGoogleの事業です。しかし、Linuxは発明者のリーナス氏が現役でリーダーシップをとっていることもあり、初期のオープンソース活動の自由な雰囲気を維持しつづけています。大規模なオープンソース活動がgoogleなどの企業のイニシアチブに移行していく中で、Linuxの開発は初期のインターネットの理想主義的な側面をもちつづけています。

Chromebookは、確かに営利事業の産物ではありますが、こういったデジタル・デバイドから子どもたちを救おうという活動の成果にもとづいています。この活動をGoogleが担っていることの意義は微妙です。世界的な企業であるGoogleが関与することで、過去の活動の成果が全世界的に広がる積極面は否定できません。他方で、Google営利企業です。一見、教育の平等をめざしているかのような活動でさえ、その背景にはGoogleの独占的な地位を貧困層まで押し広げようとする意図を類推せざるをえません。

政府は子どもと高齢者にChromebookを配付せよ

OLPCの目的とも関わりますが、いまや社会的インフラとなっているPCが定期的に買い替え必要な製品でなおかつ10万ちかくという支出をせまられる現状は不公正です。政府は、学校だけではなく、すべての年金生活者と貧困家庭にChromebookのような安価で仕事や勉強をまかなえるPCを配付すべきです。

それと同時に、各ウェブサイトはWord Pressに代表されるようなJavascriptでPCに負担をかけて、見栄えをよくする努力をやめて、阿部寛のホームページのような低スペックのPCでも問題なく情報にアクセスできるネット環境の整備に協力すべきです。

そういう条件がととのえば、子どもは親の経済状況に左右されずにさまざまな能力を伸ばしていけますし、年金生活者は現役時代におとらぬ社会活動、研究活動をつづけていくことができます。

今後の予定

実際にChromebookを仕事に活用するには、いくつかの留意事項があります。簡単に書きましたが、ネット上にさまざまな情報があります。Chromebook自体の購入リンクも含めて、必要な情報を追記していくと思います。

てめーら教師としてダメだろ

えー本音をいえば,こちらが書きたいことのように思います.少くとも経済学部あたりなら,一次関数わかっている学生にミクロの初歩おしえられない教師は,プロとしてどうかと思います.数学的に厳密さを要求されなければ,微分がなんであるかとか,微分が接線の傾きに一致するとか,それとちょっと時間をかければ,偏微分の意味と計算の仕方くらい教えられなくてなりません.なのに学会なんかで,学生の数学の学力のはなしになると,「極限がわからん学生がいる」とかいうバカが多くてこまります.あと,ブルーバックスで『高校数学でわかる××』ってありますが,高校数学わかってないと読めない入門書って,実質的に入門書とはいえない(少なくとも世間の数学学力の平均からみれば)と思うんですけど.

現在,数学が大嫌いになっている学生さんとかも含めて,中学レベルの一次関数とか,ピタゴラスの定理とか,そのあたりわかるようになれば,随分,わかることが増えるのです.そのあたりの努力するき気のないバカ教師が多くてこまります.

卒直に現在の中高の数学教育の最も顕著な効果は人間には数学とかができないかしこい人とそうでない人に分れるという認識をもたせることで,企業や社会に出て,本人以外の人にはとっても「有益な」奴隷根性なりの基礎になる敗北感,「幸運」な人には優越感をうえつけることのように思います.そんな優越感(裏返しの奴隷根性)もったまま,教壇にあがるバカは嫌いです.

数学を勉強することは,権威とか教師のいうことと関係ない真理を認識することを学ぶことなわけで,本来は奴隷根性から人々を解放する効果を確実にもっています.そういう意味で数学は近代民主主義の重要な基盤の一つなわけです.数学の世界では王様がいおうが,聖書にどう書いてあろうが,誰がいおうが関係なしに,正しさが判断されるわけですから.思想史苦手ですが,フランス革命とか,デカルトニュートンとかの数学がおよぼした効果も少なからず反映しているはずなのです.それが奴隷根性をうえつける道具になっている日本の状況はデカルトさんも天国で泣いていることでしょう.

数学が大嫌いなほとんどのひとのための人の数学のやり直し方

ホットエントリーメーカー参考にタイトルつくりました.

えーと,これは私自身のことでもあります.自分の不出来たなにあげてすんません.あと,大学で教えていると数学が嫌いで嫌いでしょうがない学生さんがたくさんいるのにも気がつきます.

自分も数学だめなんで,はてぶで数学の勉強の仕方とかの記事みつけると読んだりするんですが,どうもレベルが高すぎます.英語できない人にシェークスピア読めといっているようなのが多い気がします.

数学できない大学教員(経済学)のレベルでいうのですが,ほとんど文系の数学嫌いの学生さんがどのあたりで数学嫌いになるかというと,あんまり根拠のない実感にもとづいてですが,中学の半ばくらいなんじゃないかと思います.とにかく,そのあたりクリアすれば,たとえばチャンの『現代経済学の数学的基礎』なんかのアメリカの経済数学の教科書の導入で想定されている学力こえますし,西村『ミクロ経済学入門』(岩波書店)も数学でひっかるところもないはずです.チャンあたりもまじめにとりくめば,上巻くらいは3ヶ月かからんでしょう.

まず,プレテストです.以下のこと,ちゃんと説明できるでしょうか.

y=ax+b の傾きがaであることを説明しなさい.

これできない人けっこう多いです.傾きがわかっていない人も多いですし,関数って何か理解していない人も多いです.このレベルのことがわかっていないのに,『解析概論』とか絶対無理ですし,ブルーバックスの『高校数学でわかる××』とか卒直にいってはやすぎると思います.

このへんでひっかかっている人は,次の問題集がおすすめです.
受験生の50%以上が解ける落とせない入試問題数学

受験生の50%以上が解ける落とせない入試問題数学

受験生の50%以上が解ける落とせない入試問題数学

このあたりをクリアすれば経済学部なら次です.
経済学で出る数学 ワークブックでじっくり攻める

経済学で出る数学 ワークブックでじっくり攻める

経済学で出る数学 ワークブックでじっくり攻める

理系向けはよくわからんですが,以下のあたりもゆっくりなら『入試数学』がわかればとりくめるんじゃないかと思います.

やさしく学べる基礎数学―線形代数・微分積分―

やさしく学べる基礎数学―線形代数・微分積分―

出る数学ワークブックは中学校くらいの数学がわかっている人ならちょっとした努力で100点余裕とれるようにつくってあります.それでも高校程度の物理を理解できる程度(ベクトルとか偏微分とか,あ微分方程式はないか)には余裕でいくんじゃないかと思います.

これよんでやる気になった人にぜひ注意してもらいたいのは,高校入試もふくめて,受験問題というのは,その半分近くの問題は全員がとけないようにわざとつくっています.経済学とか,物理学とか理解するために,ああいうトンチを解く能力はほとんど要求されません.私もチャンを勉強しはじめたときに,ああいうトンチな練習問題が一切ないのに,かなり驚いたのを憶えています.(トンチの能力が要求される分野があることは否定しませんが)

『出る数学ワークブック』は序文であるように,ちょっとの努力で100点がねらえるように著者の白石さんが努力して作られた本ですし,『落せない入試問題』も半分以上の人がとける問題しかありません.こんくらいのことができる程度で本当に大丈夫なわけです.

私はやる気になれば,現在数学が大嫌いな人も上の2冊あげるのにそんなに時間はかからんと思っています.ほとんどの人が数学できなくなる理由は自分のペースで数学を勉強する機会がもてなかったからです.理想をいえば,多少つまづいても勇気づけながらつきあってくれるような先生とか先輩とかいれば,つづけられるんじゃないかと思います.(愛媛大のK先輩御元気でしょうか)

あと,ちょっと不味いのが,「計算できたけど,意味わからん」状態です.計算できるようになって,自信つけるのも大切ですけど,中身がわかったほうがいいにきまってます.『出る数学ワークブック』のほうは,ワークブックでないほうの『経済学に出る数学』を読めばいいんですが,『入試数学』レベルについては,不案内ですが,以下のあたりが副読本として思いうかびます.

マンガ・微積分入門―楽しく読めて、よくわかる (ブルーバックス)

マンガ・微積分入門―楽しく読めて、よくわかる (ブルーバックス)

関数を考える (岩波現代文庫)

関数を考える (岩波現代文庫)

岡部さんの本は関数の意味と関数の傾きあたりのとこだけで十分です.微分はあとにとっておきましょう.

経済学と経済教育の未来を考えるシンポジウム(5月16日(土曜日)於 専修大学神田校舎)

皆様,ふるってご参加お願いいたします.

昨夏策定されました、日本学術会議による経済学教育の参照基準は、その素案が一元的な内容であったために、策定過程において10数学会から異見表明が行われ、最終的な表現が修正された経過は、学会MLなどを通じて御存知かと思います。

このたび、関連学会のご協力により『経済学と経済教育の未来』(桜井書店)を出版いたしましたが、この機会に、これからの経済学教育を考えるためのシンポジウムを開催することとなりました。

開催日が5月16日(土曜)と、差し迫ってのご案内となり申し訳ありませんが、カリキュラム編成など身近な場にも影響しますし、経済学そのものの未来にもかかわる大切な問題ですので、どうか万障お繰り合わせの上、お運びくださいますよう、お願い申し上げます。

 日時:5月16日(土曜日) 13:00−18:00
 場所:専修大学神田校舎5号館541教室

13:00 開会あいさつ
13:10 基調講演:参照基準問題の経過とこれから 八木紀一郎(摂南大学 教授)
13:50 現場から参照基準問題を考える
        中等教育の現場から:炭谷英一(元兵庫商業高校教諭・神戸市市 消費生活マスター)
        高等教育の現場から:大坂洋(富山大学准教授)
14:50−15:10 質疑応答
15:30−16:50 参照基準の問題点ー個別論点の紹介と質疑応答
        有賀裕二(中央大学教授)・吉田雅明(専修大学教授) 他
17:00−17:40 全体討論

会場の専修大学神田校舎は地下鉄九段下もしくは神保町駅からいずれも5分の
ところにございます。キャンパス案内のサイトをご覧ください。
http://www.senshu-u.ac.jp/univguide/profile/access.html#kanda

お問合せは、吉田雅明(進化経済学会前事務局長: yoshida アットマーク isc.senshu-u.ac.jp )まで

吉原直毅氏の参照基準への発言について

下書き保存のまま,しばらく放置になっていました.すみません.

さっそく稲葉振一郎さんからクレームが.

吉原直毅の力のこもった文章も載せておいてほしい
http://b.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20150416#bookmark-247310557

編集の過程について,うっかりものの私がなにかいうと他の執筆者,編者にご迷惑をおかけしますので最小限の発言にしたいのですが,編者ひとりのこらず,吉原さんの文章が掲載できなかったのは,残念と思っているはずです.

個人的な願望で,吉原さんにも,他の編者,執筆者にも承諾なしですが,吉原さんの文章,発言も『経済学と経済教育の未来』の一章として読んでいただければと勝手に思っています.

追記:5月28日 『経済学と経済教育の未来』編集委員会から,吉原さんに原稿依頼があった経緯も,吉原さんがそれを断った経緯もありません.誤解をまねきうる表現であったことお詫び申し上げます.

吉原さんに共感するのは,特定の学派一本槍の経済学部での教育内容が学生にとっての関心をひかないものになりつつあることへの危機感です.私は『未来』の中で職業的意義を強調しました.もちろん,職業的意義と無関係ではありませんが,吉原さんの発言は学生にとっての学問的意義や市民的意義をより強調する方向だと思います.私は職業的意義を無視して,学問的意義や市民的意義ばかり強調する多くのアホには共感できませんが,以下のよう部分をから読みとれる吉原さんの学生への視線のため,反感を感じません.

私自身の経済学への関わりの経験に基づけば、現在の主流派のミクロ・マクロ経済学を学び正確に理解する事と、スミス、リカード以来のポリティカル・エコノミーの系列の経済学を学び、それらの視角を身につける事の、その双方によって、資本主義的市場経済システムの光の部分と影の部分をバランスよく理解する事が可能になるし、それに基づく資本主義認識のパースペクティブは、主流派のミクロ・マクロ経済学の先端的テキストのみから経済学を学ぶ場合に比べて、はるかに広くかつ深いものになれる。そのような学識を今の学生なり、市民が求めていないならば仕方ないかもしれないが、実際には、その潜在的な需要は少なからずある。それは、2011年以来、この夏をも含めて3度のサマー・スクール「Summer School of Analytical Political Economy」の運営経験から経た私の実感である。本提案のような路線で経済学の教育の体系化が進むとすれば、それは社会運営上の主権者の一人として資本主義的な社会経済の仕組みを批判的に理解する為の学識に強い需要を持つような「問題意識の高い」学生たちを結局、スポイルする事となり、そのような学生たちの経済学への興味自体を失わせ、去らせる事になり兼ねない。それは、日本社会の将来にも負の影響を及ぼす事に他ならないだろう。

多少感情的なことを書けば,私が職業的意義にこだわるのは,その欠如が教育現場において学生のニーズを無視されていることの反映であるからです.その面からいえば,わざわざ職業的意義など強調しなくても,普通に学生のニーズをくみとられるならば,出発点が職業的意義であろうが,学問的意義であろうが,あんまり問題ないんだろうなという気もしています.多くの教養やら,市民的意義ばかり強調する一部教員(ん,大多数?)は,あらゆる意味で学生のニーズに応えないいいわけとして,そういう「意義」を強調します.そもそも,そういう教員の学生への無関心の結果が現在の意義の消失しつつある人文社会系の大学教育の根本にあると思います.

以下,吉原さんの参照基準関係のリンク

日本学術会議経済学委員会・経済学分野の参照基準検討分科会による「経済学分野の参照基準(原案)」に関する拙見
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/131204sekknn.pdf

岩本,吉原対談掲載の経済セミナー

経済セミナー2015年5月号

経済セミナー2015年5月号

対談「経済学部教育が目指すもの」(上の岩本康志さんの紹介)
http://iwmtyss.blog.jp/archives/1022852956.html

よそから来た人はこっちも買ってください.

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

『経済学と経済教育の未来』アマゾンで経済学分野34位

日経新聞樣のおかげでございます.(今朝の朝刊19面)卒直に「これ本の中身読んて書いたの?」っていう感じの記事でした.そのおかげで,読者の皆さんは,一体,何が書いてあるんだろう,是非,現物を読まないと,と思って下さったんじゃないかと思います.日経新聞樣,書籍の売り上げへの御協力ありがとうございました.

なお,この本の出版を打ち上げ花火で終らせないため,5月16日午後に都内でシンポジウムが開催される予定です.内容の調整中なので告知はまだ先になりますが,関心のある皆様,よろしくお願いいたします.日経樣は,このシンポジウムを成功のため,あえてツンデレな対応をとられたのでしょうか.

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

アマゾンだと書籍の表紙表示されているのに,上のリンクで表示されないのはどうして?