理科1分野の経済学:どうして経済学はむずかしいのか

御二方からコメントでお楽しみにしてるとのことですので、爆弾に先だってアップします。いつになくまじめです。失礼でもありません。

私はだめな教師なんで、どう経済学を教えていいのかわからなくて、数学や理科の教育関係のページとか本とか手を出すことがあります。それでわかるのは数学とか理科とかは大抵、すくなくとも義務教育レベルでは日常的な推論能力からの自然な延長で理解することができるようです。ところが経済学はそうではない。それがどうしてかといことから、理科1分野の経済学を考えたいと思います。

歴史的時間

ポスト・ケインジアンと呼ばれる人々は歴史的時間というものを強調します。社会の歴史というのはあともどりできないという意味にとられますが、少なくとも吉田雅明氏の「ケインズ」では、もっとラジカルな「歴史的時間」観が提出されています。通常の経済学では市場における価格と数量調整でワルラス過程を仮定しています。テキストにもでてくる超過需要があれば、価格があがり、超過供給があれば価格がさがるという、あれです。入門の教科書ではしばしばごまかされていますが、ワルラス過程では価格が調整される間、いっさいの取り引きは行われません。その間、売り手と買い手は市場価格に対して、需要量と供給量をオファーし、すべての売り手とすべての買い手の需要量と供給量が一致して初めて取り引きをおこないます。このように調整がおわるまで取り引きを行わないという仮定、あるいは暗黙の仮定はほとんどの経済モデルに共通します。ケインズ的な数量調整のモデルといわれている再決定モデル、IS-LM、成長理論のほとんどがどこかで、調整が終了して取り引きを行うという仮定をおいています。しかも、動学モデルの場合はその調整が瞬時に行われると仮定しています。しかし、これは嘘です。市場では需給が不一致でも取り引きがおこなわれます。

ケインズ―歴史的時間から複雑系へ

ケインズ―歴史的時間から複雑系へ

このような仮定は、モデルの説明のなかで必ずしも明示的に書かれないかもしれませんが、簡単にその暗黙の仮定を見抜く方法があります。それは、そのモデルが異なる主体のあいだで、同時点で成立する連立方程式を使っていることです。実際、その連立方程式を神さまや全能な中央計画者が解くのではなければ、大抵の場合、異なる主体の間でその方程式の成立させるなんらかの調整プロセスが必要なはずです。その場合、たとえば、ワルラス過程のケースでは調整の間に取り引きがある場合、均衡に収束する可能性については否定的な研究が大勢です。そのたとえ、均衡に収束したとしても、その均衡は、調整の間に取り引きがない場合の競争均衡とはおそらくことなるでしょう。

では、吉田雅明さんはそのようなモデルではなく、どのようなモデルを提案しているのでしょうか。それは取り引きのない調整プロセスの排除にかぎれば、モデル化の要点自体はきわめて簡単です。経済主体を情報や財などの投入をうけとり、他者に産出をおこなうブラックボックスとみなします。財、情報の投入時点と産出時点はズレがありますから、主体の行動は入力を出力に変換する差分方程式となります。また、価格などの情報は調整済みの変数ではなく、おおくは単なる市場における平均としておかれています。この体系の特徴は調整プロセスの存在を示す一切の異なる主体の間の同時点に成立する連立方程式を含まない差分方程式となります。では、このモデルをどのように解析するのでしょうか。吉田さんは脳神経回路研究の成果を参考にして、コンピュータシミュレーションを行っています。

私は吉田さんのモデルは主流の経済学のモデルより、はるかに現実に近いと感じています。しかし、コンピュータシミュレーションでしか解けないモデル*1が将来にわたって、経済学の入門書の冒頭に現れることはないとも確信しています。

それは、モデルというものは、現実性だけではなく、扱いやすさが要求されるからです。われわれは差分方程式より、微分方程式微分方程式よりは、一次の連立方程式、それよりは、たんなる四則演算のほうが扱いやすいのです。吉田さん自身、歴史的時間による分析の祖であるケインズが自身がその体系を分析する手法がなかったことを指摘しています。

実際、経済学の歴史は歴史的時間をどううまくつぶして、現実とのズレのないモデルを作るかの歴史と解釈できるのではないでしょうか。それは我々が球面の地球を旅するのに、平面の地図を使わざるをえないのと似ています。モデルの部品のひとつひとつは歴史的時間のモデルのほうが理解しやすいでしょう。しかし、四則演算しか使えない人間にとって、それは分析不可能な対象なのです。

経済理論はアダムスミスの労働価値説からはじまりました。これは労働量という一次元の数(スカラー量)を扱う理論です。それから、リカードマルクスなどが労働価値説にもとづきながら、現在の観点では一次式の連立方程式であつかわれるモデルを完成させます。それから、限界革命をへて、微分が導入されていきます。戦後になって、動学モデルにおいて微分方程式が活用されるようになります。ある意味で一番抽象度の高いモデルはアダムスミスのモデルといえるかもしれません。マルクスにいたっても、かなりの部分を労働価値説によるスカラー量の分析にたよっていました。経済学はいきなり、抽象度の高いレベルから、低いレベルに発展しているといえるように思います。

通常、自然科学は四則演算で分析可能な対象から、もっと高度な数学を必要とする対象に範囲をひろげて来たはずです。それは、手でさわれるような身近な対象から、光速や素粒子といった通常の体験を越えた対象にうつっていったように思います。しかし、経済学はそのようなゆきかたは歴史的にも、個人の勉強のプロセスでもとれないのです。身近なものは分析不可能で、分析可能なものは抽象度の高い、身近に感じられないものなのです。

現実の経済は調整と主体の行動が並行する歴史的時間の中で進行しています。しかし、それをモデル化したものはは分析の手段のない人間にとっては地図よりも世界の等身大模型に近いものです。今後とも、経済学の入門が歴史的時間をそのままモデル化したものから始まることはないと私は思っています。それは大多数の人間にとって、線図のような地図が十分に役に立つからであり、地球儀の使いかたはもっと高級な技術であるからです。

ことわっておきますが、私は吉田さんの業績に多大なる敬意を払います。吉田さんと同じ方向でしか、経済がなぜ一定の秩序を維持しているかという経済学の根本問題への答えはみつからないように感じています。また、吉田さんの仕事がより適切な単純なモデルへの抽象化、つまり、現実に対して歪みのない地図をつくるきっかけになる可能性にも期待しています。しかし、我々はその仕事の完成を待っているわけにはいきません。

ここではできうる限り、歴史的時間の観点も含め、モデルの限界を明示的に示したいと思います。それと同時にそのような限界を置いてしまうことの必要性も示したいと思います。それとこれは吉田さんとはおそらく反対の立場となりますが、あまりにも経済学内部の対立をあおる方向には少しうんざりしています。ここまでで、私が新古典派的な経済学の立場とことなる立場であることは明白だと思いますが、にもかかわらず、主流派の経済学は現在非主流派とされている経済学と違うアプローチだが、同じ問題をあつかおうとしている側面はむしろ強調したいと思います。

あー、ここは吉田さんにみつかったら怒られそうだ。あの本は実はまだ消化不良なのです。

最初のモデル

物理学というか、理科1の物理分野の場合、直接の対象はたとえば、「ばね」だとか、とても単純な対象からはじまります。経済学の場合、そんな単純な対象は世界に存在しません。われわれに必要な経済学は生産をともなう市場経済についての経済学ですが、どんな小さな国でも何百と言う種類の商品と何千という人がいるはずです。したがって、連立方程式をつかうにしたって、何千もの変数が必要です。われわれはあくまで理科1分野の経済学をするわけですから、かんがえうる限りもっとも単純な、しかし、われわれの市場経済の特徴をなんらかのかたちで反映したモデルを考えなければなりません。

そのため、われわれは一種類しか財のない経済を考えましょう。こんな経済はありえません。しかし、これは経済をスカラー量で分析するための方便です。

実はこれ以降の部分はすでに、「キグにもつかえるGDP」で説明したのですが、すごい御下劣ですし、もう少し詳しく説明します。この財を松尾さんにならって、Y(国民所得)となずけましょう。ここではしちめんどくさい国民所得計算などは一切わすれて下さい。この経済では当然、生産と消費をしなくてはなりません。だから、生産財としても、消費財としても使える商品を考えましょう。財は一種類だけなので、たくさん財がある場合のようにいろいろな生産手段を考える必要はありません。財は生産手段としては機械として使えると仮定しましょう。機械はいったんすえつけられると、ずっと使えると仮定すます*2消費財としては、どのような用途にも使えると仮定しますが、1年のうちになくなってしまうようなモノであると考えます。つまり、住宅だとしても、次の年には立て替えなければなりません。

年を越えて、経済の中にありつつけるような物や貨幣などの数量を経済学ではストック変数といいます。逆に1年のあいだになくなってしまう変数をフロー変数といいます。つまり、ここでは生産手段はストック変数で、消費はフロー変数だと仮定しているわけです。もちろん、フローの生産手段も、ストックの消費財も当然あるのですが、これをすべて考慮にいれると、最低4種類の区分けをしなくてはならなくなります。後のほうでの成長の議論のためにも、ストックの生産手段はさまざまな経済問題を考えるうえで欠かすことができない要因です。また、ストックの消費財のみあって、フローの消費財がない状態も考えにくいことです。以上から、生産手段はストック、消費財はフローと仮定します。

この経済でYを生産するためには労働と機械が必要だとしましょう。Yの生産量はその社会にある機械の量と、生産活動に参加した労働者の数で決まるとしましょう。今年の生産されたYはすぐに機械として使うことはできなくて、前年までに生産された機械の総数と労働量が今年の生産量を決めると仮定します。話を簡単にするために、生産量は今年の労働量に比例するとしましょう。機械の量の効果は比例係数にふくまれると想定します。労働量をL、比例係数をaとおけば、

Y=aL

となります。

消費・投資・貯蓄の関係

いま、労働者しかいない、企業の持ち主も労働者であるような労働者自主管理のような経済を考えましょう。Yはすべて労働者の物になります。Yの使い道も労働者集団の共同決定で行うと仮定しましょう。資本主義の市場経済においては、消費の決定と投資の決定は分離しています。それは出発点としては面倒になるので、一つの主体(労働者集団)が一括して、Yの使い道の決定をすると仮定するのです。Yのうち、労働者は新品の機械にIだけYを振り向け、のこりを消費するとしましょう。すると、

Y-I=C

書き換えれば、

Y=I+C

が成立します。Yを新品の機械とすることを投資といいます。ここは大事な点で、投資というと株式投資とか、投資信託を買うとかそんなイメージを持つ人がいますが、少なくともマクロの初級では投資とは新しい機械をつくることです。

また、貯蓄とは、もらったもののうち、消費しなかったものなのですから、これをSとおけば、

S=Y-C=I

もあきらかです。

猿でもわかるレベルの経済成長モデル

通常のマクロではここから、消費関数とかの話になるのですが、投資が新品の機械だということを身に染みてわかってもらうために、ええかげんなソローの成長モデルをとりあげます。定常状態などいっさい考えません。投資Iはその年に生産される新品の機械でした。したがって、今年の機械をK(2006)、今年の投資をI(2006)とすると、来年の機械K(2007)は

K(2007)=K(2006)+I(2006)

となります。

人口Lを一定と考え、Y=KLとしましょう。そして、L=10,K(2006)=10、毎年のIを10としまして、2006から、2011までのYの値を計算してみましょう。

Y(2006)=K(2006)L=10×10=100


K(2007)=K(2006)+I=10+10=20
Y(2007)=K(2007)L=20×10=200


K(2008)=K(2007)+I=20+10=30
Y(2008)=K(2008)L=30×10=300


K(2009)=K(2008)+I=30+10=40
Y(2009)=K(2009)L=40×10=400

つぎに、一定の投資額ではなく、Yの一定割合を消費し、残りを投資すると仮定しましょう。毎年の消費は

C=0.9Y

とします。すると、

I=Y-C=Y-0.9C=0.1Y

となります。うえと同様の計算をこのケースでします。

Y(2006)=K(2006)L=10×10=100
I(2006)=0.1×Y(2006)=10


K(2007)=K(2006)+I(2006)=10+10=20
Y(2007)=K(2007)L=20×10=200
I(2007)=0.1×Y(2007)=20


K(2008)=K(2007)+I(2007)=20+20=40
Y(2008)=K(2007)L=40×10=400
I(2008)=0.1×Y(2008)=40


K(2009)=K(2008)+I(2008)=40+40=80
Y(2009)=K(2009)L=80×10=800
I(2008)=0.1×Y(2008)=80

当然ですが、毎年ごとの投資が大きいほど、資本ストックは大きくなります。したがって、次の年のYは大きくなります。投資を増やすためには消費を減らさなければなりません。ここで、この経済の人々はおおきな経済問題に直面します。将来の豊かさ、つまりYを増やすためには、今年の消費をへらさなくてはならない。このバランスのなかで、毎年の消費と投資を決定する問題が最適成長モデルがあつかう問題です。

ほんとのソローモデルでは、人口成長を考慮し、機械の一部が腐る(資本減耗)と仮定しています。また、ここでは計算がかけ算でできるように、国民所得は機械と労働の積としましたが、ソローモデルでは一次同次関数が仮定されます。

貯蓄=投資を増やすと経済は成長する。消費を増やすと経済成長はおちる。これがどうして起こるか理解しただけで、かなりの経済学についての議論がわかるようになると思います。ここで、頭のいい人はこう思ったかもしれません。「えーマクロで消費が多いと国民所得が増えると聞いたよ。反対じゃん」それも正しいのです。矛盾しているように思えますが、それもまた正しいのです。これは次回に説明しましょう。

えーと、柄にもなく糞まじめにやりました。要望、質問はコメント欄でうけつけますので、よろしくお願いします。それと、私の事を先生と呼ぶときは、必ずカタカナでお願いします。

追記

アップしてすぐ見た人は私が足し算ができないことを確認しましたね。だまっといてください。

*1:ちょっと複雑な微分方程式でも、解析的手法は困難であり、吉田さんのような大規模な差分方程式を解析的に分析する仕事はしばらくはおめにかかれそうにありません。

*2:つまり、減耗は考えません