どうして、誰も止めないのか?

某国の不人気首相ですが、ああいう無茶苦茶なことやって、まわりの政治家とか官僚とか秘書とか、どうして止めないのかと思ったことないでしょうか。最近、私が内情をよく知るある組織を観察して、ああ、こういうことなんだと思うようになりました。

近年、いろんなところで、「トップのリーダーシップ」がさけばれていますが、問題の組織の業界でも、トップのリーダーシップがさかんにもてはやされています。その組織は一応、法人なのですが、ほとんどの資金を政府にたよって運営されており、数年毎に管轄の役所に目標を達成したかどうか報告書を出して、基本的に組織全体の評価はその報告書の中身できまるような、まあ、とってもお役所的な状況なのです。しかも、有識者による外部評価っていうのがあって、ようするに、素人さんを含む人々にあーだこーだいわれて、それも組織全体の評価につながるわけです。

そういうわけで、組織の評価は、素人さんでもわかり、なおかつ、上のお役所にもおぼえめでたい目標を設定して、報告書に目標を達成しましたと書くことによってあがります。そのうえ、それが「トップのリーダーシップ」でやったことになれば、そのトップはうえの役所とか、外部の委員の方々から、とってもほめられるわけです。

でも、同業の他の組織を見ても露骨にそんなことやってるとこはありません。素人さんにもよくわかり、上のお役所からもおぼえめでたい目標なるものは、多くの場合、現場の声を無視して、実行すれば、通常の業務を支障をきたすものが多いのです。たとえ、そういう目標を設定したとしても、それが報告書の字面だけでなく、うまくワークするためには、現場の状況を反映したものにする必要があります。だからそうそうへんちくりんな目標はたてられないのです。

ところが、この組織のトップは外部や役所にはおぼえめでたいけれども、内部の人間のかなりの部分が反対するであろう、プロジェクトを複数起ち上げ、これがこの組織の目標だとぶちあげました。あんのじょう、幹部の約半数は止めにはいりました。そうすると、そのトップは止めに入った幹部を干して、自分にはむかわない幹部に仕事を丸投げするようになりました。トップはまったく計画立案能力がないのです。

仕事を丸投げされた幹部は、おのおののプロジェクトと関係する部門でこれまで頑張ってきた人々に協力をあおぎました。しかし、プロジェクトの当事者ほど、そもそもプロジェクトが実現不可能であり、しかも、無理矢理実行した場合には自分のキャリア自体がだいなしなることがすぐにわかったので、事情がわかっている人はほとんど皆、プロジェクトへの協力をことわりました。ここで、事情を知っている人はトップを止めれない体制が半分できあがってしまいました。

それでも、プロジェクトの計画立案には人手が必要なので、丸投げされた幹部は無理矢理ワーキンググループなるものをつくりましたが、そのメンバーはプロジェクトに関することに無知な御人好しばかりになりました。それでも、いくつかのワーキンググループではトップの方針は実現不可能であるという結論がだされました。ところが、その答申もトップによってにぎりつぶされました。

そのかわりにトップからおりてくるプロジェクト案なるものは、多分お役所や外部の人々から見ても「だれも止めなかったのか?」と頭をかかえるのが必至なものとなりました。

えーと、どこの組織か詮索しないでください。(といっても、読んだらしちゃうかもしれないな。)