原発問題は人権問題である
今回でわかったことは、大規模な原発事故が起れば、被曝による生命の危機にさらされながら事故への対応をしなければならない人々がかならず必要になるということだ。これは事故への対処に生身の体であたっている人への重大な人権蹂躙である。現状では、そのような人権を蹂躙する手段をつかわなければ、原発事故による危機を回避しえない状況におちいってしまっている。また、それが仮に人災であるにせよ、大規模な原発事故が実際に日本の原発で起ることが証明された*1。
日本国憲法の基本的人権を前提にすれば、今後も、このような人権を蹂躙する事態においこまれる可能性がある原発は、すぐに廃棄できないとしても、長期的には縮小し、廃棄の方向にもってゆくべきものであることは自明に思われる。
日本で必要なエネルギーまかなうために原発は今後も必要という人々が絶えないが、原発をこのごにおよんで温存しつづけるということは、物質的な豊かな生活のために、またいつか起るであろう原発事故に対応する人々の生命を危険にさらすことにほかならない。つまり、わたしたちが原発を温存することを選択することは、物質的な生活のために一部の人々の命を犠牲にすることを選択することである。私はそのような選択をする価値観によってたつような社会には住みたくない。また、いわゆる原発ジプシーの問題も同様に考えるべきだ。
わざわざこういうあたり前のことを書くのは、原発事故以降、さまざまなところで書かれているものを読んで、あたり前のことがわからない連中が多いことにショックをうけつづけているからだ。