生産性論争についてのとってもマイナーな議論

まあ、松尾さんのブログの記事あたりで、決着はついたのかと思うんですけど、本筋と関係ないところで、山形さんの元記事への疑問。

で、なぜ日本の医者のほうが圧倒的に高いお給料なの? 別にそれがいけないってわけじゃない。ぼくは安すぎるくらいだと思うけど、でもなぜ生産性がちがわないのにそんなに給料が高いの?

あるいはもっと卑賤な職業を見ようか。床屋! 日本でぼくが床屋にいくと、QB ハウスで一回千円だ。フィリピンだと、一回百円。ガーナだと一回 70 円だった。

さてQBハウスは手際はいい。でも、フィリピンの 10 倍手際がいいか? ガーナの 15 倍手際がいいか? そんなことはない。ガーナの床屋は、所要時間は 10 分かそこら。QB ハウスはそれを 1 分で仕上げてくれる? そんなわけはない。フィリピンは、時間は 30 分ほどかけるけれど、その分総バサミで仕事はものすごくていねいだった。勘案すれば処理件数は、日本もガーナもフィリピンも似たり寄ったり。つまり生産性も似たりよったり。なのに、日本の床屋さんは後進国の 10 倍以上も稼ぐ。

生産性の話の基礎 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

これって、医者とか床屋の能力と生産性をごっちゃにしている気がします。ガーナの床屋と日本の床屋の能力がおんなじだとしても、日本の床屋のガーナの床屋の10倍混んでいれば、生産性は10倍になる。だって、生産性って、労働時間でアウトプット割ったものだから、暇な店だと、床屋さんがいくらうまくても生産性は低くなるのです。したがって、能力が同じ=生産性が同じではないのです。山形さんがいっているのはガーナの床屋も日本の床屋も能力が同じってことで、それは生産性が同じであることにはなりません。

いやいや、山形さん批判したいわけでなく、この手の議論をブログでやると、人間の能力、労働生産性、労働の限界生産性などなどが、ごっちゃになる傾向にあるように思うのです。かといって、ブログでわざわざモデルたてってていうのもね。(あー、分裂勘違いさんとか松尾さんとかやってるけど)

また、(久しぶりに)弾さんマンセーとかいわれそうですが…

論争中に池田さんにも山形さんにもけちょんけちょんになった弾さんのエントリー

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50762325.html

とりあえず、私がコメント欄に書いた文章を引用。

池田さんから批判されてますが、弾さんのいっていることは、非主流の経済学では割とメジャーで、スラッファが販売費をかけなくては販売量をふやせない制約が企業の生産量の制約であると指摘したことから、いろいろと議論があるようです。

塩沢由典の『市場の秩序学』(筑摩学芸文庫)の「スラッファと不況の理論」あたりに書いてます。あと、根岸隆の『ケインズ経済学のミクロ理論」とかも。

それと実感としても、経済学者って、営業活動を過小評価しがちですね。伊藤元重さんのような流通が専門の人は別として。

消費性って、需要のことでしょっていうのは、その通りでしょうが、客観的な経済現象を経済学者とおんなじタームで説明しなければいけないっていう法律なんかありませんので、ウザいこといわんさんなと思います。なんで、販売費をかけないと販売量をふやせないのかは、最近なら、情報の経済学あたりでスマートに説明できるでしょう。