厚生経済学の基本定理

404 Blog Not Found:経済成長は手段か目的か? - 書評 - 貧困の克服

まず、いいたいことは、Danさんの主張(と私が理解している)ことに私はあまり違和感がない。多分、公平性のために効率性が犠牲になってもいいという主張だと思う*1。また、Danさんに「厚生経済学の基本定理を知らないでしょう」といったやつはアロー=ハーンくらい読んでいってんだろうなといってやりたい。だいたいしらんでいいやんけそんなもん。そんな経済学をしっているかどうかでDanさんの記事の善し悪しを判断するつもりはありません。だから、Danさんもそんなのまともに相手しないで下さい。

と、前置きをしつつ、でも、経済学をかじった人ならだれでもDanさんのあの文章はちょっとと思いそう。不平等なパレート効率的な状態があることは別にセン大先生を引き合いにださなくても、だれでも想像がつく。ようは、元手が不平等ならば、市場によって不平等を自体を改善できないということだ。

しかし、市場は元手の不平等を改善することは出来ないが、元手の状態がパレート効率的でなければ、市場の参加者のだれも状況を悪化させずに、誰かの状態を改善することができる。つまり、交換の利益がある。厚生経済学の基本定理にかみつくということはこの市場における交換の利益を否定することにならないか。

市場が達成出来ない平等を達成するために、経済学者がすぐ考えつく手段は元手を平等にしてしまうことだ。これが出来れば市場の効率化機能をそこなわずに、平等が達成できる。それが不可能な場合は消費税の税収を低所得者に渡すように市場の効率化機能を多少損なう手段で平等を達成することを考える。これはDanさんと関係なく、経済学の教科書でも出てくる素直な発想である。すくなくともおおまかにいえばDanさんの主張はこのバリエーションのなかにおさまると思う。経済学のなかでも結構正統派だろう。ただ、これでも市場の機能をすべて手放すのではなく、ちょっとゆがませるだけだ。市場自体をすててしまう必要はない。

*1:国民所得では味方したけど、経済学をねこそぎ否定しなければできない主張とは思えない。