経済1.0やら、2.0やら、あるいはβ
弾さんの通訳をするコーナーです。今回は経済学ジャーゴンを弾さんに通訳するではなく、弾さんの用語を経済学ギルドに通訳するのが目的です。それとレトロな話を経済学ギルドのみなさんに思い出してもらうのが目的です。お題は「マルクスの使いみち」で吉原先生にけちょんけちょんにされた、「再生産」を重視する経済学の立場です。上の「経済学における実体主義と流通主義」では、マルクスを含めて経済学の主流は経済の状態が効率的な状態であることを仮定していると前提してました。実際、現在の日本でこれ以外の立場に立った経済学の本を探すのは難しくなっています。
- 作者: 稲葉振一郎,松尾匡,吉原直毅
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2006/03/11
- メディア: 単行本
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この立場は非常に単純です。経済というのはある年でおわってしまうのではなく、生産をつづけるには、年々、機械やら人間やら再生産しないといけない。この点を経済学の分析の中心におけというものです。経済が人間を再生産させつつ、存続するには一定の条件をみたさなければなりません。この点について、一番入門的な説明だと私が思うのは置塩信雄『蓄積論』です。悲しいことにもう絶版のようです。アマゾンでひっかかりません大きな図書館には多分あるので、探してください。
さきの吉原さんの非主流派の再生産論者けちょんけちょんの内容は要は主流派のモデルでも、再生産の条件は考慮されていいる。ようするに
主流派モデルの守備範囲 再生産論者の守備範囲
ということだろうと思います。
しかし、これを読んでみましょう。
話を元に戻すと、効率性というのは経済に限らず、Version 2.0になってから考えるべきことながらなのだと思う。まず大事なのは「それが動く(work)」こと。これはものづくりでもプログラミングでも変わらない。そして多分経済も。
これは効率性がみたされてないが、ワーキングしている状態がありうることを明確に指摘しています。要するに
再生産が満たされている経済 効率性が満たされている経済
といっているわけです。(ワークしている=再生産と解釈したもとでですが。)また、さらに付け加えれば、経済、あるいは社会秩序の再生産ができているが、飢餓などによって、人間の再生産が支障をきたしている、人間の再生産経済βという状態もありえます。
しかし、私は弾さんへの返答として、一部で飢餓が発生している状態も主流派経済学では効率性が満たされている状態としてとらえうることを指摘しました。
私は後進国の所得を飢餓水準を上回らせるために、パレート効率性を満たさなくなる可能性を指摘したが、このとき、先進国の所得を減らす要因を、発展途上国の市場整備のための投資と考えれば、弾さんの議論は私の指摘したことの一パターンといえる。経済学の用語では、発展途上国に効率的な市場が成立しておらず、発展途上国への市場コストの節約で先進国が高い所得を達成している状態はパレート効率的なのだ。逆に発展途上国のために先進国が市場コストを負担している状態は現状にくらべてパレート改善ではない可能性が大きい。これはセンの指摘するへんちくりんなパレート均衡の一種といっていいだろう。
となると、既存の経済モデルではなく、現実の経済の分類としては、弾さんが多分想定している効率性が満たされている状態が人間を再生産する意味でワーキングしている状態に包含されるともいえないのです。
したがって、経済のバージョンづけは多分スカラーじゃだめな気がします。GDPに似てますね。
追記
どうでもいいんですけど、私の卒業論文の題名が「経済の再生産秩序」とかだった*1だったのを思い出しました。
それとそれを指導していただいた中尾訓生先生の著書は本エントリと関連が深いです。素晴らしい先生でしたので、もっとちゃんと指導していただきかったという思いでいっぱいです*2。
ついでに、山口大学の経済学部出身のお知合いの方を御存じでしたら、中尾先生が今年度で定年である旨、お伝えいただければ、幸いです。あーいう方ですので、退官記念講義さえ、お断りされてまして、われわれで復讐お祝いする機会を用意したいのですが、なかなかゼミ生と連絡がとれません。このブログのプロフィール経由でアドレス確認の上、大坂までメールしていただければ幸いです。
- 作者: 中尾訓生
- 出版社/メーカー: 晃洋書房
- 発売日: 1993/05
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