まともな経済学者のGDPと公平性に関する見解

岡村與子さんのお手紙からの引用です。岡村さんは「経済学科の新入生のみなさんへ」http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061208/p1 の共著者というより、中身の8割を書いた人です。2割くらいは痴呆が書いてますが、その部分もまっとうな経済学者がチェックをいれてるので、安心ですね。「Krugmanは読まないし、もし、Krugmanを読むなら専門書か論文しか読まないよなぁ・・・・」あたりから、友人にはブログ中毒の痴呆がいるけど、とってもまともな経済学者の薫りを感じていただければ幸いです。
岡村さんは私のブログのたぶん、http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061124/p1 くらいしか読んでないと思います。2通めに関しても私からのバイアスかかりまくりの情報をもとに発言していることを念頭においてください。アメリカ云々の話がありますが、岡村さんは学部、大学院とアメリカで(高校もだったけ?)phDとって、日本に帰ってきた人です。

11月27日

大坂先生
私は、この山形さんなる人のことをあまりよく知りません。
翻訳本もKrugmanの本というのは判るけど、読んでいません。
(ちなみに私は今「チャングムの誓い」に夢中で、シナリオブックなんか
買ってしまって、そいう読書のほうが忙しいし・・・)リラックスするときに
「Krugmanは読まないし、もし、
Krugmanを読むなら専門書か論文しか読まないよなぁ・・・・」
です。
というわけで、その山形産(「さん」か・・・)との喧嘩がどうして
どういういきさつで始まったのか?
いつの間にか、大坂ゼミが成長論のゼミになったのも驚きですし・・・
ともかく、マクロレベルの集計とかそういう問題を言ってしまったら
統計的なマクロ量がどの程度意味があるかというあたりで・・・・
その山形産という人、うぅぅ・・・んよく知らないけど、
世の中にはいろいろな学問があって、それぞれの立場から
「現実」の断面を拾い上げているわけでありまして、経済学が
すべてとも言わないし、経済学がまったく意味がないとコケにした
議論するのも、アホーだと思うのです。、
アメリカにいると、若い経済学部の大学院生が経済学万能論なんか
唱えたりするけど、経済学が世の中のすべての面(face)を司っている
とは思わないのです。
ですから、「マクロ集計量の意味」とかもそこまで厳密に
言い始めたらマクロの実証的側面の公理的な部分(統計
に意味があるのか!)にまで抵触してしまい、始めることすら
出来なくなってしまうのです。マクロ集計量の問題はさておき、
とりあえずそれが、我々が観察する経済において、何か意味のある
情報を提供してくれるという「公理」に基づいて、マクロモデルも
マクロの計量も始められるというあたりでしょうか?
(内容的に筋違いな発言しているかも・・・)

ここより、共通の知人についての噂話。とっても載せたいけど、あとが恐いので略。
大坂からの返信。とってもバイアスのかかった情報です。(11月28日)

山形氏については、弾さんというプログラマの方が「経済成長より、今は分配の方が大事だろ」と
いったのに対して「エライ先生はそんなこと知っとるんです。GDPはみなさんの努力でよくなってん
だから」云々という言いがかりをつけまして、私が「みなさんの努力って精度あげるとかそんなんや
ろ。関係ないやん」といったわけです。まあ、率直にいえば、GDPという指標の評価に関しては山形
さんとあんまり見解の相違はないと思っていて、専門家でない人に彼がサーベイできるわけないエ
ライ先生持ち出すのがとっても気持ちわるかったわけです。ようするにこっちにとってはある意味で
政治的な問題だし、山形さんもそれをわかっているからいいかえさないのかなと思っていたら(こ
の議論が政治的な議論で経済学が論点になっていないことを匂わす記事もかきました)田
中秀臣氏がGDPと消費者余剰ごっちゃにしたバカエントリかいてて、それのコメントで山形氏が
「エンボルグ(環境問題の本書いてる人)読め」とかいっているので、切れておそらく岡村さんの読
んだエントリを書いたわけです。

11月29日

分配の問題はいつも近経の苦手とするところですが、たとえば
カニズム・デザインの人なんかが政治的意思決定プロセスと分配の
問題なんかを扱っていると思います。ゲームの人ですよね。分野的には。
それと、公共経済学のほうでは、経済的効率性と分配の平等の間に
トレードオフがあるというのは有名な話(スティグリッツの「公共経済学」にも
乗っている。)PPFのような平等ー効率性 のトレードオフ曲線があって、
社会が効率性と平等のどの点で選好するかというによって、
Social Optimalが決まるという図式のもの。

このコンテクストで読むと、今の平成不況後の所得格差の問題は、
デフレからの脱却のために効率性を上げるために、公平性をGive Up
したというあたりでしょうか?
でも、このPPFみたいなのが内側に沈んでいたのをBOOST Up
するために「一時的な」不平等が生まれているという考え方もあると思います。
で、橘木さんの本とかにもあるように、この一時的な不平等が教育の機会など
を通して、家族の間でinheritすると、解消には時間がかかるという言い方も
できるかもしれません。自分の能力で不平等の是正(教育への自己の再投入)
が出来なければ、その分は社会保障で補うしかないけど、財政赤字
問題をみると、これを社会保障で補えるほどには経済は回復していないと
いえるのかも知れません。
今はGDPがポジティブ成長だとかいって、良くなっているよーーー
というのが政府の見解でしょうが、本質において、財政赤字の解消がない
限りには、成長には常にマイナスの不可がかかると思うのです。

まぁまぁ、
また的外れな見解かもしれませんが。
取り急ぎ。