ロボットのGDP

昨晩は同僚の清家さん、岩内さんたちと飲み。結局岩内さんとは3次会、4次会までしてしまった。(えーと、下の名前調べんのめんどくさいからうちの学部のページで見てね)

それで、2次会のバー(岩内さんのいきつけのとってもハイソなとこ)で清家さんのアイディアを聞いて盛り上がった。私なりに要約するとこういうことだ。日本はこれから人口減少社会で確実に国全体のGDPの成長が鈍化する。一方で移民をたくさん受け入れた国はGDPの成長がのびている。GDPの成長鈍化で日本の国際的発言力なり、国際社会での評価は落ちる一方となることが予想される。そこで、自立的に生産活動をし、消費活動をするロボットを生産し、人間というかその「生産活動」と「消費活動」も経済活動と認定すれば、日本の新定義のGPDは成長するであろうということだ。

それについての私の見解

  • 国民所得計算上はまったく問題なし。たとえば現状であっても、「お機械」さまを人間とみとめれば、機械への投入は消費となりGPDとみなせる。(清家さんは犬や猫のペットを人間とカウントするアイディアもいっていた。就学前児童よりも経済規模は大きいかもしれないとのこと)逆に、移民を人間でなく、「奴隷」とみなせば、移民の消費はたんなる機械に対する中間投入となり、移民でGDPが成長した国のGDPの伸びはもっと小さく評価されるはずである。
  • 要は、人間の定義の問題であり、ロボットが自立的に活動するかどうかは、少なくとも国民所得計算上はどうでもいいはなしである。
  • また、人口減少時代でGDPが減るというのは一国レベルの話であって、国民の経済厚生を測る基準であれば、一人当たりGDPを考えればいいのである。景気の問題など、短期、中期的話をとっぱらってしまえば、これはほぼ、労働生産性で決まるのであり、国全体の消費の規模などではなく、労働生産性を向上させるしかないのである。
  • にもかかわらず、清家さんのようなアイディアが関心をひくであろう理由は経済学的というより、政治的な、ナショナリズム的な理由と思われる。世界には経済的な、物質的な資源だけではなく、ゼロサムゲームで争われている政治的リソースがあるようである。その政治的リソースの争奪戦において、GDPの世界に占める規模が重要であろうようだ。このように考えれば、GDPを測定する基礎として、誰を人間と認めるかは政治的論争の争点になりうる。

それ以外にも、インターネット経済の話とか、私がバックミンスター・フラー伝道者になったりして、もりだくさん。清家さんと岩内さんは経営学科で経済学部の私とは勉強の話(これって勉強か?)をする機会がいままでほとんどなかったのだが、今度、勉強会しようねという話になりました。めでたし。めでたし。