二つの正義

濱口さんをはじめ、情報提供ありがとうございます。当初の目的とちがったところで大変勉強になりました。といか勉強中なんですが。

結構、考え込んでしまったのは、「2つの正義の狭間で: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」でした。世の中には対立した価値観があるというのは経済学でも認められていて、というより、議論の前提になっているわけだけど、経済学で想定されている解決方法はようするに対立した価値観の間のバランスをとるということなわけです。でも、実際は人間は複数の価値観それぞれを絶対的な、完全にみたされるべきものと感じていて、多くの場合、個人の中で両方を100パーセント実現しようとして、囚人のジレンマのような状況に陥ったり、自分をいつわって経済学者のようにバランスをとることを考えて、欲求不満におちいっているように思います。

それで、その対立をどう具体的に解決すべきかという前に、ちょっとトンでもと受け取られるかもしれないけど、神様といってもいいし、自然といってもいいし、進化のプロセスといってもいいんだろうけど、我々の精神の設計者のようなものを想定すると、我々は対立した価値観の間で右往左往するように設計された生き物のように感じるわけです。そういう状況を解決するというか、超えるというか、そういうことは多分、キリストさまとかお釈迦さまのような方しかわかんないことで、われわれは多分、ずーっと、そういう対立した価値観を、すべて、絶対的に達成したいという実現不可能な願いを持つように、それがすくなくとも悟りがひらかれてない人の道として歩むように運命づけられているような気がするわけです。(トンデモです。ハイ)

それで、自分でもその手のことをいってしまった過去があるのですが、経済学者の提案というのはその手の人の道をねこそぎ否定するような提案が多いわけです。ある正義があり、それを(効率的に)実現するためにどのような手段をとるべきかという点については、経済学者の提案はしばしば経済現象以外にも有効性があるでしょう。しかし、絶対的に正しい二つの対立に悩むひとにとって、経済学者の提案というのは、文字通り人の道にはずれたものとなるように思います。

ただ、自分もよくやってしまうのだけれど、多くの人はそういう対立にまさに悩んでいる人に対して、経済学のようなバランスをとる解決のほかに、片方の正義だけを安易に解決する方法を安易に提案します。自分も含めたその辺りの無神経さが、今はとても人の道を見失ったもののように、すごい悪臭のように感じます。

トンデモ話ですんませんでした。