不況対策のためのお金の使いかた

「よい」公共投資っていうけど、それを誰が見分けるんだろう
小野先生にきこう!
小野善康さん、それってちょっと……


くそー、firefoxがおちたんで、おんなじこともう一回かかんといけん。くそっ。

えー、ゼミ生が卒論でエンデの遺言なんて読んでるんで、インタゲくらい勉強しなさいよ。山形浩生ってのがいいよといいって、 スーパー・アクロバチック・不景気脱出策。を研究室によんで印刷してあげてるときに、ついでにおくればせながら、小野善康=山形論争を読んでみたのです。

それで、ケンカとしては山形さんの圧勝と私は思うんですけど、小野さんはちょっと、公共事業にこだわりすぎて、損しているように思うわけです。小野さんの理論的立場にたったとき、「よい公共事業」ってそんなに深刻なハードルとは思えないのです。

山形さんの論点を乱暴に整理すると、「いい公共事業っていうけど、具体的な中身がまったくわからん。それとだれが良い公共事業と悪い公共事業の区別がつくの?」ということだと思のです。

それで、小野さんの不況対策の位置付けというのはようするに不況というのは生産設備と遊休し、労働者が失業している。つかえば財やサービスつくれつのに、あそんでるのは無駄やんか、だから、どんどんつかったれということなのです。もう、あそんでいるわけなんですから、それを使うコストは社会的にはタダとみなしていい。とにかく、それを使うのはええことやということなのです。

ところが、山形さんとの議論で小野さんが歯切れが悪くなるのは、だからといって、公共事業をすればよいわけではない。すでに雇用されている労働者とか生産設備をぶんどって遊休している資源をつかわない公共事業をするのは、全然問題を解決したことにならない。さらにセメントとか、石油のような原材料は不況でも好況でも社会的にコストとなるので、いくら設備や労働が遊休や失業しているものをつかってタダであっても、無茶な公共事業は不況においても社会的にマイナスだ。だから、よい公共事業しなくちゃいけない。

でも、遊休している設備や失業者を活用する手段って、公共事業だけなんですかね。失業者を雇用することが社会的にタダであるにもかかわらず、失業者が雇用されない原因は社会的にはタダであっても、雇う側にしてみれば、賃金がかかるからです。だから、支払う賃金にみあった仕事を政府が用意することで、公共事業は失業を解消するわけです。でも、もっとかんたんに企業に失業者を雇用させる方法があります。それはやとった人間に労働者の賃金を政府が補償してやることです。給料10万円しはらえば、政府は10万円企業にはらってやるわけです。小野さんの理論的な立場にたてば、このほうがも公共事業より素直な発想なように思います。

しかも、公共事業というのは、民間の供給しないものを政府が供給するのが筋ですから、どうしても、民間のてをださない部門とか、あるいは、民間より政府がしたほうがいい部門にかたよります。政府のお金はそうした部門にながれ、その部門の遊休資源が優先的につかわれることになります。しかし、そうした部門にお金をまわすがの不況対策としてのぞましい補償はありません。逆にそうでない部門、つまり、民間と政府の公共事業が競合する部門で好況事業をしたらどうなるでしょうか。この場合は民間のなかの競争力がよわい企業がその部門からおんだされるのです。したがって、このケースでも不況は解決しないのです。したがって、不況対策として有効な公共事業をおこなおうとすれば、民間と競合せずに、なおかつ、その部門の生産がふえれば設備の遊休と失業が解消するような分野をさがさなくてはなりません。それはとってもむずかしいことです。ようは、この辺を小野さんは山形さんにつかれたのですが、さがすどころか、そんな都合のいい部門など、そもそも、存在しないのかもしれません。

私は別に賃金を政府が補償する政策をしろと主張しているのではなく、小野さんの理論的立場が「よい公共事業論」と結び付きがつよいとは思えないのです。山形さんとの議論だけよむと、つまり「よい公共事業」の基準が問題になると小野さんは卒直にいって、非常にあいまいなのですが、すでに述べたように、小野さんの不況を解消する状況についての基準は非常に明確です。これの基準が達成するような政策を考えるというのが本筋であって、まず公共事業というとこから出発したのがまちがえのように思えてならないのです。

そもそも、社会的にタダの費用の労働と遊休設備を使うとしても、何をつくるかについては民間にまかせるしくみがあれば、政府が何をつくるかなどと考える必要はありません。公共事業という制度の枠があるので、何をつくるべきかという問題がでてくるのです。仮に政府がどの部門にお金をまわすか判断するシステムをつくるにせよ、どの部門にまわすかは、客観的に明確なルールにもとづくのがのぞましいでしょう。すくなくとも現状の公共事業はそういったルールがほとんどないなかで、政治的に配分がなされています。そういうルールを設計する方向のほうが小野先生の理論的立場と整合性があるように感じるのです。


そういえばしばらくまえに、すんごく要領わるく似たようなことを考えていた。自由財と失業対策 - 痴呆(地方)でいいもん。

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