鬼頭さんのブログ

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えー、師弟のあほなやりとりをRSSとかアンテナにえんえん垂れ流してもしかたないので、かつ、例によってウィスキーが回ってますので、鬼頭さんのこと書こうかなとおもっているわけです。

鬼頭秀一先生とは私が山口大学に入学したときに、科学史の授業であいました。最初の授業でトーマス・クーンのパラダイム論の話をされたんじゃないかと思います。それで私はおおーっ、これはすんごいと思っていたら、その辺で配っている山口大学新聞(もちろん原理研究会のでないほう)に鬼頭先生のところで科学史研究会をやるとかいとるではあーりませんか。科学史の授業のあとで鬼頭さんに、「新聞で研究会やるって聞いたんですけど」と話しかけました。

それからすぐに月曜日には科学史研で酒を飲み、のちに懇意になる経済学の植村高久先生と金曜日には酒を飲むというパターンが、植村先生が結婚する2年の初めまで続きました。植村先生も、鬼頭先生も教養部に赴任して1年目で、お互いに最初の先生、最初の学生という感じだったと思います。本当にかわいがってもらいました。

先日の過去の人こと、鬼頭先生のコメントで「『狂った年賀状』で、ああ、これで大坂ももとに戻ってよかったなと思いました」と書いてあるのを読んで、あれから、20年以上たったのですが、まあ、なんと自分は進歩がないことよと思います。あのころの鬼頭さんや植村さんはほんとにすごくて、何でも知ってて、何でも読んでて、もう自分は絶対あーはなれないと思っていたのですが、そのころの鬼頭さんや植村さんの年齢を10も超えているのに、寄り道して、あーだ、こーだして、やっと、20年前の鬼頭さんや植村さんにあった頃のスタートラインにもどったという感じが自分でもします。

数年前に、植村先生が山口大学のお偉いさんとして、講演しに富山大学に講演に来ました。その時、植村先生に「学内業務も、学会も、教育も、研究も全部がんばれ」といわれました。その当時、投稿拒否だった私はすんごく、プレッシャーを感じたのですが、今思えば、植村さんはエネルギーの出し惜しみをするなといっていたように思います。卒業してからも私にとって植村さんや鬼頭さんとすごした大学時代は一生のうちで、黄金時代のように感じていました。もう、毎日が楽しくて楽しくてたまらなかったように思います。大学をでて20年すぎて、ここ最近、あのころとおんなじくらい楽しいかなと感じるときがあります。

それで鬼頭さんの宇井純氏への追悼文を読むと、鬼頭さんは私に会ったときからすでにこんなちゃんとした問題を持って研究してたんだと思います。私は、経済学はやっぱり面白いんだなと最近つくづく感じるんですけど、自分のテーマなんてありません。ただ、面白そうなとこの近くをプロ意識のかけらもなく、うろうろしているだけです。それでも、今感じるのは、鬼頭さんのようなまっとうなテーマを持ちたいというより、なんというか、あー俺は情けないけど、うろうろしたくてうろうろしているという感じです。鬼頭さんへの尊敬の念とともに、情けなく、でも、こうしかできない自分への「まあ俺はこうだ」という変な肯定感を感じています。

自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク (ちくま新書)

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ローカルな思想を創る―脱世界思想の方法 (人間選書)

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市場経済を組み替える (人間選書)

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制度と資本―マルクスから経済秩序へ

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グローバル資本主義と企業システムの変容 マルクス経済学の現状的課題 第1集 グローバル資本主義 第3巻

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あ、今、アマゾンへのリンクをコピペしてて思ったのですが、「市場経済を組み替える」まだ読んでませんでした。読みます。書評も多分書きます。