私の知っている疑似科学批判者は十分に謙虚だ

 科学者が疑似科学信仰者を批判するとき、二つの水準(レイヤー)が混在しています。

1.事実のみに関わる純科学的な批判
2.道徳的・政治的な批判

疑似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよ

私は謙虚でないので、言わせてもらう*1疑似科学の道徳的・政治的な側面に無自覚なのはあなただ。水伝においての最大の道徳的政治的側面は何か。それは、疑似科学をつかって、「ありがとうはすばらしい」という阿呆な「道徳」を子供に教えこもうとするバカ教師の問題と、私にとってはやや重要性はおちるが、疑似科学によって、簡易嘘発見器のセールスをする江本某あるいは一部のホメオパシーの連中の無自覚なものを含めた詐欺行為だろう。

これをふまえて、まず、いいたいのは、このことを見逃して、何が「道徳的・政治的」なんだろうか。あなたのいう「道徳的・政治的」とは、私は「科学君に馬鹿にされてくやしい」というかなり被害妄想的な疑似科学主張者の気持の問題にすぎないようにしか読めない。このような気持を疑似科学主張者がいだくのは、ある程度、自然なことだが、それへのまっとうな対処は疑似科学批判者になにかを要求するのではなく、まず、「あなたは私のこと馬鹿だとお思いでしょうか」と聞くことだろう。多分、相手は科学的内容について言及しているに過ぎないのだから、心配ならきちんと確かめるべきである。もちろん、トンデモとか、罵詈雑言を吐くやから*2もいるが、それに関しては、きちんと発言の訂正をもとめればいいじゃないか。そんだけの問題にしか思えないのだが、いかがだろうか。

次に指摘したいのは、アホ教師問題の政治的道徳的側面について、疑似科学批判者が疑似科学の主張者あるいは、疑似科学批判批判者との論争の中で直接的に言及しているのを私は知らないことだ。水伝教師がアホであるのを指摘するのはある意味では疑似科学批判より簡単なのにである。「おまえバカ」というより、「ありがとう」といったほうが、他人から自分にとって適切な援助をもらえる可能性があがることなど、水伝など引用しなくても、子供につたえることくらいできるし、他人に感謝することを促すのなら、その子供が生活がいかに多くの人によって成り立っているか教えればよい。そういうまっとうな手段でなく、水伝をとびつく段階で、その教師は、自分と他人の関係に無自覚に「ありがとう」をいうような道徳的にまずしい人間だと告白しているようなもんだ。これはわたしが脊髄反射で書いた水伝教師への批判だが、この程度の批判は、水伝による道徳教育を聞き、気持悪さを感じた人なら、多少時間をかければできるように思う。にもかかわらず、疑似科学批判者の多くは疑似科学主張者に対して、この手の批判をするのはまれである。(すくなくとも私は自分自身の文章以外にあまりみたことがない)疑似科学批判者どうしのネット上の会話では、この辺の議論は結構目にする。kikulogあたりを見て欲しい。しかし、それを疑似科学主張者に直接ぶつけないのは、むしろ、疑似科学批判する人間が道徳的・社会的側面の批判を同時にすると、批判される人間が人間的な価値全体を否定されたかのような印象をもつ可能性もあるし、疑似科学批判に道徳的・社会的背景があるような(つまり、科学的側面自体が問題ではないかのような)誤解を生じさせる等の、まさに道徳的・社会的な配慮があるのだと想像する。

私の知る疑似科学批判者のほとんどは、疑似科学批判によって、なかなか世の中から疑似科学がなくならないことをよく自覚している。その上で、それぞれの戦略や配慮をもって疑似科学批判をしているように思う。それはたとえば、kikulogやpoohさんのブログのコメント欄でも会話でも、注意深くよめば察することができると思う。謙虚さが足りないというのは私のように、無駄な反感を買うことを予想していても、感情をぶちまけてしまうような人間に対していうことであって、多くの疑似科学批判者はそのような部分では冷静な人が多いと感じる。

最後に聞きたいのは、多くの疑似科学批判者がこうであるのに、どうして、あなたが、ほとんどの疑似科学批判者が謙虚さをもたず、感情的であるかのような印象をもっているかということである。私はブログ上で疑似科学批判をされている人々に接して、すでに述べたような点で非常に謙虚であることをほとんど数日のうちに理解した。私には「科学をふりかざす人々」への偏見があるのではないかと疑っているのだが、どうだろうか。推測にすぎないのだが、あなたの議論がほとんど科学を語る人とそうでない人の人間関係の問題に終始しているように見え、なおかつ、そうでない人の気持の問題を私から見れば過剰に重きを置いているように見えるので、こういう推測をしてしまう。そうでなければ、反論していただければ、大変うれしい。

*1:もうすでに喧嘩売りモードだ

*2:私も吐いたことがある。自分の妻に対してだが