[ライフハック(笑)]不適切な発言をする人をコントロールする方法

いやー、ここ数日、重苦しい文体で書きなぐってしまいましたね。

疑似科学批判批判の皆さんの問題の一つは、批判によって疑似科学の人を適切な認識なり、行動に導けるかどうかにあるように思います。これはこれで重要な問題ですので、ちょっと考えてみましょう。

非常に抽象化して考えますが、ある観点からすれば、特定の人間の行動は不適切な行動と適切な行動に分類することができます。さらに不適切さ、適切さにも度合いがあり、とってもやってもらって嬉しい行動、まあまあ嬉しい行動、ちょっと困る行動、うんと困る行動、絶対許せない行動などに分類することができます。この観点からすれば、他人の行動への介入の目的は、適切さの度合いを大きな行動を増やして、適切さの度合いの小さい行動を減らすということになるでしょう。

そんでもって、ほとんどの人々がおちいりがちな失敗というのは、不適切な行動を批判することによって、適切な行動に誘導しようということから生じます。多くの行動療法家はこのような方法は不毛であると主張します。その根拠の第一は、人間の注意力というのは、その注意の対象となる行動を促す方向に働くことです。批判される人は、批判されることによって、自分の行動が注目をあびていることを認識します。ほとんどの人間にとって耐えられないことは周囲の無視ですから、批判されることを(無意識に)よろこび、その行為を強化する心性があるのは不思議ではありません。批判されたとき、腹のそこにどす黒いエネルギーがムラムラってみなさんないですか。それって大抵、批判した人がますます困るような方向に向いますよね。ここから導かれる結論は、不適切な行動を増やさないためには、不適切な行動を無視すべきであるということです。

ただ、その不適切な行動が許容できない範囲の実害を及ぼし、緊急にその行為をやめさせる必要がある場合はどうしたらいいのでしょう。その場合にすべきことは、その不適切な行動をすることを、物理的・法的その他の手段によって、制限することです。相手がブログのコメント欄でえんえんと不愉快なことを書きまくるときは、アクセス禁止にするとか、その手の手段です。注意すべきは、このとき、「てめーこのやろー、アクセス禁止にしてやる。ばーか」などと、相手に注目を意識させる行動をともなってはいけません。それは、相手に注目というエサをあたえることになって、さらなる不適切な行動を誘発する可能性が大です。

ここまで読んだ人はこれじゃ適切な行動は増えないじゃないかとお考えと思います。適切な行動を増やすためには、その行為に注目してあげればいいのです。不適切な行動が目立っている人もずーっと不適切な行動をしているわけではありません。多分、ほとんどの場合、たまには適切な行動をしているが、不適切な行動のほうが目立っているにすぎないのです。その適切な行動をしているときに、ちゃんとほめてあげる。こうすることで不適切な行動が増えます。それで、時間は有限ですから、適切な行動が増えれば、自動的に不適切な行動は減ります。

ここで注意は、不適切な行動をとっているときはあくまで無視しながら、適切な行動をとっているときにはすかさずほめることです。これをするには、対象を不適切な行動をとっているときも、ずーっと観察し適切な行動を探しつつ、なおかつ、注目というエサを与えないために、観察していることをさとられないようにしなければなりません。

これって、効果ありそうに思いませんか?疑似科学批判の人もこれやれば、疑似科学の人ももうちょっと、こちらにすりよってくれるかもしれませんし、疑似科学批判批判の人も疑似科学批判の人の不適切な発言を減らせるのではないでしょうか。

ここまで読んで、この前のエントリはなんじゃ、じゃーおめーがやれと思った方、そのとおりですが、私はできません。他人を適切な行動に導くなんて、そもそも、そんなだいそれたことできません。だから、疑似科学批判の人にも、疑似科学批判批判のひとにも要求しません。だけども感じるのは、疑似科学批判批判の人たちは実質的に上のようなスキルを疑似科学批判の人に要求しているように思うんですけどいかがでしょうか。そういう期待をするのはよくわかりますが、それなら隗より始めよですよね。できますか?

できそうだと思う人は下の本を御読みください。ADHD関係として売られてますが、一般的な観点から書かれています。なお、このような行動療法的なものが疑似科学なのか科学なのか私はわかりません。

読んで学べるADHDのペアレントトレーニング――むずかしい子にやさしい子育

読んで学べるADHDのペアレントトレーニング――むずかしい子にやさしい子育