祝!!季刊松尾匡完結

表題を「地獄の季刊松尾匡完結」としていましたが、地獄をとりました。「松尾さん大変だったねー」という気分だったのですが、よく考えてみると、松尾さんの読まされるのが地獄という意味にとられかねない。

松尾匡さんのページの情報によると、怒涛の松尾匡出版ラッシュももうひと段落のようです。とりあえず、ご苦労さまでした。ブログで最近ちゃんととりあげることができないにもかかわらず、献本いただきありがとうございます。

マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)

マルクス経済学 (図解雑学シリーズ)

ざっとみましたが、従来というか、主流派のマルクス経済学との違いをちゃんとまとめているところが、好感がもてました。多くのマルクス派の人にとっては、松尾さんの経済学はマルクス経済学でないという意見もありえると思います。私としては、どっちが本当のマルクスかという不毛な議論ではなく、現実の資本主義経済を分析するうえで、松尾さんの立場で分析することが、従来と立場にくらべれ有益かどうかについての議論が起ればとても面白いのではと期待します。

多分、経済学の領域を超えて、従来のマルクス派の社会科学と松尾さんの立場がもっともするどく対立する点は192ページにあるように松尾さんが基本的に方法論的個人主義を積極的にとりいれていることだろうと思います。このことを松尾さんがゲーム理論マルクス経済学にとりいれる根拠にもなっていると思います。

私は経済学をするときは、方法論的個人主義で、それ以外は唯物史観的に考える傾向がある玉虫色なヤツですが、松尾さんのほうがとっても潔いことはいうまでもありません。この点に関して、有益な論争があればうれしいです。

この点に付随する疑問というか、質問なのですが、松尾さんは「社会的なものがひとりあるき」して人々を抑圧することへの批判をマルクス的な価値観と考えているようですが、これと主流派の(非マルクス)経済学の厚生分析はどのような関係にあるのか、興味があります。「社会的なものがひとりあるき」しているかどうかと、パレート効率的かどうかというのは、たまたま判断が一致する場合もあるでしょうが、ちょっと考えただけでは、常に一致するかどうか私にはよくわかりません。機会があれば御教示ねがえればうれしいです。

経済学の中身でいえば、長期と短期を繋ぐ理論の不在を指摘している部分(204から207ページ)が共感しました。というか、この話は大学院時代から松尾さんが一貫して言っていることで、なおかつ、私自身もずっと興味をいだいている問題です。これに関連して、松尾さんは最近、めっきり置塩投資関数をいじらなくなっていて、私からすれば、おーいドマクロにもどってこーいという感じなのですが、どうなんでしょう。

松尾さんの最近の著書はいずれも経済学を勉強するなら、松尾さんの本を3冊読めといえばいいくらい、初心者にも配慮がゆきとどいてすばらしい限りですが、私がほとんど唯一、反感を感じてしまうのは、ドマクロというか、ポストケインジアンへの私にとってはいわれなき批判です。私自身、ポストケインジアンは学問的内容というより、なんか宗教みたいでイヤなんですが(あーあ、いっちゃった)、どちらかといえば、経済学全体としては、単一の一般モデルが一個あって、みんながそれをいじくっている状況より、いろんなモデルが競合しているほうが発展性があるように感じています。冷戦的などっちが正しいかみたいなんじゃなくて、多様なモデルが実証の正確さをふくめて競いあうような方向にいかないかなーと、おもっています。

あと、前の経済学史については、この点も含めて、経済学的内容の正確さというより、経済学の発展のとらえ方について、文句がいくつかあるんですが、それはまたの機会に書ければと思います。

ざっと見ただけのいいかげんな感想ですが、今日はここまでということで。