アスペルガーは(我が家に関しては)大変じゃないんですけど。

たぶん、アスペルガーネタはしばらくはこれで最後にします。

大変じゃないです。なんだか、とっても大変と思われているのを感じるので。大変な苦労している方もおられるとは思いますが、みんながみんなすごく大変なわけではないでしょう。

間接的にですが、大学に入ってから、発達障害的な傾向が問題になってきて、親御さんが狼狽するような事例をいくつか聞きます。逆にいうとそういう親御さんにとっては、それまではせいぜいちょっと性格がおかしいやつくらいの認識だったのだと思います。逆にいえば、その程度の苦労の場合も少なくないんじゃないでしょうか。

我が家でそんなに深刻な事態になっていないのは、母親が成長がゆっくりなことを全然ネガティブに考えていなかったことは大きかったと思います。おそらく、彼女自身は子供の頃、優等生だったのですが、そのことが自分の幸せに結びついていないと強く感じているようです。たぶんそのせいもあって、一郎の成長がおそいことも全然深刻には受け取っていませんでした。長い不登校の時期も、必要な対処には奔走してましたが、深刻ではありませんでした。また、彼女の家族からも受け入れられていることも大きいように思います。

私もおそらく、今なら発達障害と診断されたであろう子供時代をすごしましたが、小学校4年生くらいに数日風邪で学校休んで、登校すると授業がわかっているというような経験をして、そのうちに一郎も普通の子供になることをすごく期待していたと思います。どうもそうじゃないとわかったときは正直つらかったです。

ただ、子供というもの多かれ少なかれ親の期待どおりにはいかないわけで、そして、親の期待どおりになることが素晴らしいことなわけじゃないのだろうと思います。一郎は私のそういう期待を粉々にしながら、ゆっくりと成長しているわけですが、そのことは普通のことです。アスペルガーでなくたってあるでしょう。ねえ、お父さん、お母さん。子供への変な期待なんていうのは、愛情でもなんでもなくて、親のわがままなエゴですから、そんなもの壊されたほうがよいのです。ただ、何年か前に一郎へ自分の思いのかなりの部分が愛情などではないと気づかざるをえない経験があり、そういうのがなければ、未だにつらかっただろうなとは思います。

勝手に息子のことを実名で記事を書くのはひどい親と思うひともいると思います。そうかもしれません。しかし、いつか一郎がこの文章を読んで怒ったりするのを私は全く想像できません。彼はアスペルガーの可能性を指摘され、その説明を受けた時もきわめて冷静でした。アスペルガーであることを不幸とは全く思っていません。おそらく、周囲がそういうことにどういう反応をするかということに無頓着であることも大きいのだと思いますが、彼のそういう部分が失われることは想像できませんし、これからもそうあって欲しいと思っています。おそらく、彼はアスペルガーについて、周囲に隠し立てせずに生きていくと思います。

これから、多分、就職でかなりの苦労をするでしょうが、障害があろうがなかろうが、とりわけ昨今は、就職で苦労する人はたくさんいるわけです。周囲の学生を見ていると、就職の時点で本人と親御さんにそういった苦労が予想外の天災のように降ってくるパターンが多いのでしょうが、うちの場合は今から予想でき、準備ができるぶんだけ、随分ましだとも思います。

子供の学費よりも、飲み屋さんでお金を使いたい不良中年の私としては一郎がなんとか食べれるようになったら、すぐ定年というパターンになりそうで、それが一番悲しいような気がします。