不況の時の正しい賃金の決め方

最近の新聞などを読んで、不思議に思うことがある。不景気のためにあっせっているためか、多くの企業が「業績重視」の経営へシフトしているようだ。中には過剰な業績重視のなかで、部署の中でトップの成績をあげても、給与ダウンの例もあるという。こんなことで企業が立ち直るのだろうか。

個々の従業員の努力水準をあげるためには、業績と報酬の相関を強くすればよい。つまり、給与の業績主義的な要素を強めればよい。これは経済学からみても正しい。しかし、業績主義を強くすれば企業の収益があがるか?これは必ずしも正しくない。正しくないどころか、普通の従業員を考えるかぎり、過剰な業績主義は企業にとってマイナスである。

この理屈はとても簡単である。個人の業績は個人の努力によってのみ決まるものではない。通常、天候、景気、そのほか諸々の個人にはどうしようもない事情と個人の努力両方によってきまる。したがって、同じ努力をしたとしても業績はある程度偶然に左右される。

その結果、業績主義がを強くなるほど、個人の努力と関係なく、報酬は偶然によって左右されるようになる。普通の従業員なら報酬はいつでも一定のほうが嬉しいにきまっている。景気や天気にめぐまれれば、お金が手にはいるが、不景気なら家族をやしなえないようではサラリーマンはやってられない。

もし、平均の報酬額がそのままで、業績主義が強まれば、従業員の会社で働くことのメリットは当然下がる。このことが強く働けば、有能な社員でさえ、会社を去り、違う職場を探すだろう。それがいやなら、賃上げをするしかない。

結果的に、過剰な業績主義を導入して、それを維持したければ、収益の増加を上回る賃金支払をして、従業員をつなぎ止めるか、人材の流出を被るか、いずれかを選択しなければならない。逆にいえば、人材を温存しながら、業績と報酬を強く相関させることで努力を引き出すためには、賃金の平均値をあげることが必要である。(注:もしかしたら、以上から業績主義は逆に体のいい首切りの手段としてはいいようにみえるかもしれないが、逃げて行くのは無能な社員ばかりではない。業績が偶然に左右されることは能力とは関係ないからである。業績主義のもたらす自主的な退社によって、社員を選別するのは効率的な方法ではないのだ。)

しかし、現実には逆に業績主義は体のいい、賃下げの手段に使われているように思える。はじめにあげた部署のトップの人間の賃下げの例などその最たるものである。これは、もし賃下げを意識して行われているとするなら、まったく不合理である。これによってある程度賃下げは可能だろう。しかし、賃下げで賃金支払を節約したければ、素直に平均給与をさげればよいのだ。その方が賃金を節約できる。従業員が不確実で低い平均報酬でも働いてくれるとすれば、もっと低く確実な報酬でも働くはずなのた。

バブルの時に、ぬるま湯のようになってしまった職場なら、ある程度業績主義を導入することは意味があるだろう。適度の業績主義は従業員、企業双方にとってメリットがあることである。しかし、ゆきすぎた業績主義で得する人間はだれもいない。