ビルゲイツにはなりたくない。

昨日ニュースステーションをみていたら、さる有名経済学者がコメンテータとして出演しておられた。率直にいって発言内容に腹が立った。ビデオに撮ってないので正確な引用ができないのは残念だが、「これからはハイリスク=ハイリターン」「みんな自分の能力を過小評価している。ベンチャーなどに積極的になろう」「生き方を変えよ」などといっていた。

正直いって、大きなお世話である。彼は経済学の一流の専門家であるが、経済学の理論をどうひねくりまわしても、個人の生き方をうんぬんする理屈は出て来るはずがない。経済学はあくまで個人の合理性を仮定する。また、リスクをおそれて、企業にしがみつく人間の行動が合理的でないなどという根拠はまったくない。確かに倒産寸前の会社にしがみつくのは合理的とはいえない。しかし、現在の仕事を投げ出して、ベンチャー社内ベンチャーに身を投じることが必ずいいとはだれがいえるのか。少なくとも、たとえば、A自動車の社員である山本さんが社内ベンチャーの誘いにのるべきかどうかといった問題は大先生より本人のほうがよっぽど正確な判断が下せるはずだ。さらにいえば、もしこの発言を「リスクなど無視しろ」とうけとるのなら(そうは決していっていないが、こう誤解する人はいるだろう)、それは非合理的な行動のすすめ以外の何者でもない。とにかく、経済学者には個人の生き方を云々する資格はない。

彼の最近話題の経済学の入門書を早速、生協で購入した。批判のためである。最初にいっておきたいがこれは評判通り非常にいい本である。私の学部の経済学入門のテキストに使いたいくらいである。高校の政治経済では巷の阿呆な教科書は捨てて、この本か岡林茂『経済学という市場の読み方』(ナカニシヤ出版、こちらは少しマルクス経済学っぽい)などをつかうべきだろう。ほとんどの大学の教科書もこういった本を見習らわなくてはならない。来期に開講するミクロ経済学では補助テキストに指定しようとおもう。

しかし、ニュースステーション同様、他人の生き方へのお節介はあいかわらずである。目次の項目だけあげれば「ビルゲイツを生んだアメリカ社会」、「自分で会社を作ろう」、「君もビルゲイツになれる」などなど。

ビルゲイツマイクロソフトの社長であり、世界一の資産家である。マイクロソフトをあつかった書物を読むと彼がいかに仕事の虫であるか必ず触れられている。かれは朝の8時には会社にでて、夜10時くらいまでかならず働く。世界一の金持ちになってもである。

経済学的にこういう行動をする人間のことを分析してみよう。とりわけ彼のように自分の労働時間を決められる人間の立場の人は自分の労働を増やすことによる得(労働の限界便益)と増やすことによる損(労働の限界費用)が等しくなるように労働時間を決めるだろう。通常、労働の便益は労働によって得られる所得とそれによって達成される消費や余暇の充実があげられる。また、労働の喜びや成功の達成感なども便益の一部である。労働の費用は労働のしんどさ、余暇の減少などがあげられる。

大事なことはここでの便益と費用は個人の効用、つまり満足度ではかられる。所得が全くない人間にとっての1万円の収入はものすごい満足度をもたらすが、 1億円もっている人間にとって、1万円の収入増は通常ほとんど満足度をもたらさない。私のような普通の人間が「サマージャンボで3億円あたったら大学なんてやめてしまおうか」と考えるのは3億円手にはいれば、大学でえられる給料による便益の増大などとるにたらないものになるからである。

ところがビルゲイツ氏はそうではない。世界一の金持ちになってもまだまだ働くのだ。これは経済学的には異常に労働の限界便益が高く、労働の限界費用が低い人間であることが予想される。ようするに、労働によって得られるものには敏感だが、労働の苦しみはほとんど感じない「特異体質」の持ち主なのだ。こんな人間はそうそういないであろう。こんな人間をみならっても幸せになれるのはごく一部の人間だし、そういう人間を見習えというのはゼミ生などに (あっ、今なら某家電企業の部長や課長かな)個人的にいうのは勝手だが、経済学者の発言としてはどうかと思うのだが。

私は日本人の「体質」はビルゲイツとはまったく違ったものと考えている。たしかに、日本人は従来、「働きバチ」といわれてきた。しかし、一生懸命働いてきたのは将来のリスクを現在の貯蓄でまかなうためだったのではないのか。たとえば、今年大学を卒業する大学生が親に「来年からフリーターをする」といえば、多くの親は反対するにちがいない。ちゃんと働けという。その理由はおそらく「フリーターでは将来の生活が保証されていないから」というものだ。つまり、会社で一生懸命働かないことで将来のリスクを背負い込むことを親は心配するだろう。これはそのの親自身が会社で働いている動機でもあるはずだ。私は日本人のほとんどはリスクをともなう「ハイリターン」などのぞんでいないと思う。

もし日本人の長年の「働きすぎ」の原因がビルゲイツ的体質ではなく、非常にリスクをきらい、将来の心配なのであるなら、日本は社会保障制度を充実することでもっと幸せになれるだろう。このことで、日本人は余暇を増やしながら、安心できる将来を期待することができる。今の不況でも政府が失業給付金を奮発すれば失業の不安はある程度解消する。これによって、失業者は目先の求職ではなく、失業の大きな原因の一つである産業構造の変化に対応するような勉強をする余裕もできよう。日本人の労働時間の長さがリスク回避からくるという前提にたてば、このことで日本人全体の満足度は相当あがるはずである。

もちろん、このことは日本人の労働意欲をそぐだろう。ビルゲイツを目指す若者もへるだろう。私はそれでもいいと思う。日本の一人あたりのGNPの水準は人一人がつつましくとも、幸せに生きるには十分な水準だ。現在の不況の深刻さはあくまで失業率の高さにもとめるべきであって、GNPの水準にもとめられるべきではないと私は思う。

したがって、私個人の日本経済への処方箋は「不況であっても明るい社会をつくろう」である。

(8/13)最初書いたときは、発言された経済学者の名前を明記していましたが、今回ふせることにしました。上のような発言をしているのは彼だけではありませんので。