マンキューさんの弁護とわたしの痴呆のいいわけ

実は先週の金曜日に今日の始めの部分で書いた主張を思いつき、本気で信じたまま、書きはじめたのだが、書いている途中でまちがいに気がついて、やめた。経済学の初歩的な部分でのまちがいなので、10年間もミクロ経済学を教えていたのだから、まったくもって痴呆である。

しかし、マンキュー氏もたぶん、私とおなじくらい痴呆であるか、すくなくとも私のような勘違いを容易に導く図をのせているのだから、かなり不注意とはいえるのではないだろうか。と、自分の痴呆さを棚にあげたりする。

ただし、いいわけをいえば、わたしの勘違いはある程度経済学になれたものがしやすい種類のものではないかと思う。経済学では、ほとんどの関数は凸性、あるいは凹性を満す。つまり、1変数の関数であれば、上の方向に出張ったグラフか、下の方向に出張ったグラフを想定する。S字のかたちになるような、ある領域では下に出張って、ほかの領域では上に出張るというような関数はごくまれにしかでてこない。S字型の生産関数、あるいは費用関数はそのごくまな例外なのである。また、限界費用が単調に増加するというのは典型的な凹性をもつ関数の特徴である。

現実の生産関数や費用関数はかならずしも、凸性や凹性をみたさないかもしれないし、S字型の場合もありえる。単純な凸性や凹性を仮定するのは、現実がそうであるのではなく、折角、モデルをつくったのなら、解がなければ、しかも、一意の解がなければこまるという経済学者側の事情である。この点については、西村清彦「経済学のための最適化理論入門」( ISBN:4130420372 )が「実用性」をキーワードに他ではみられない徹底した議論をしている。

とにかく、凸性やら凹性やらを満している関数ばかりあつかうのになれると、経済学者は現実があたかも凸性やら凹性を満しているかのように考えるバイアスをもつようになる。しかも、数式で関数をみると凸性や凹性を満していない場合でも満していることを前提に考えてしまう間抜けな習慣まで身に付けてしまう。(すくなくとも私はそうだ。)

同僚でも、理工系の数学と同レベルの数学をキチンとやった経験のある人はそんなことはない。そうした同僚とはなしていると時々、自分の数学の思考方法がいかに凹性やら凸性にしばられているか知ってあぜんとする。だが、おそらくマンキュー氏をふくめて、おおくの経済学者はわたしと同様、現実が凸性やら凹性を満しているかのように考えてしまってる気がする。まあ、それは思考するうえで、エネルギーの節約になるので、大変経済(学者)的であるのだが。