会社の一員であるとはどういうとこか。結婚しているとはどういうことか。

このことは自明視されている。「会社にはいるとは会社に毎日通うことであり、結婚するとは男女が一緒に住むことだ」と思うかもしれない。

しかし、毎日通うとか、一緒に住むといったことが、会社に入ることや結婚することの定義としては不十分なことはすぐにわかる。結婚の場合、同棲との区別ができなくなる。会社においては、何十年もパートで働いている状態との区別ができなくなる。

では、結婚と同棲、就職と長期のパートタイムの違いはなんだろうか。わたしは「別のパートナーないし組織をサーチすることを断念すること」と定義したい。

結婚で考えてみよう。長いあいだ交際をつづけている結婚していないカップルと結婚しているカップルでなにが異るだろうか。セックスはとりあえずは関係なかろう。経済的な面でも、結婚していなくても男が女を扶養する(あるいはまたその逆も)可能である。子育て以外の男女間でなされる営みのほとんどは結婚せずに可能である。
会社の場合も、パートタイマーだけで経済的な活動をおこなうことは可能である。

しかし、結婚相手や正社員に期待できて、同棲のパートナーやパートタイマーに期待できない重要なことが一つある。それは、将来にわたって関係がつづくことである。

結婚を解消すれば、原因になった側は慰謝料などの経済的な損失をこうむるし、場合によっては、社会的制裁もうける。会社の場合も、とりわけ日本のように正社員として長期雇用されるのを当然視する社会では、会社を転々とするものは職さがしが困難になるし、世間的に信用されなくなるおそれをもつものもいる。会社においては正社員をたいした理由なしに馘にするのは、法的にも、社会的にも難しい。

したがって、会社にはいるとき、結婚するときは、会社と社員、結婚するパートナー同士はその関係が長期につづくことを期待できる。これが結婚や正社員であることがたんなる長期的関係とことなるたぶん唯一のちがいである。

そのほかの違いはこのことによって生じるものである。たとえば、さっき「子育て以外の男女間でなされる営みのほとんどは結婚せずに可能である」と書いた。子育ては同棲しているカップルには困難である。ほとんどのカップルは子育てを決意すれば同時に結婚を決意するだろう。いうまでもなく子育ては長い時間を必要とする。それをカップルで協力して行うとすれば、長期に関係がつづく保証が必要であろう。それを可能にするのが結婚なのだ。

子育てに限らず、結婚や就職はパートナーの協力が必要ななんらかの長期的プロジェクトを実行することを可能にする。このことが結婚や就職においてパートナーのサーチを断念することの第一のメリットである。

結婚や就職は生活を安定させると考えられている。このことはパートナーのサーチを断念することの第二のメリットに関係している。それはリスクの回避である。サーチを断念すれば、もっといいパートナーを得る機会は失われるが、同時に現在のパートナーを失う可能性は大幅に減る。

したがって、結婚や就職を選択する際の重要な要因はサーチをつづけることのメリットとサーチをあきらめることによって可能になる長期的プロジェクトからの収益(心理的なものも含めて)とリスク回避のメリットの比較となる。

以上はあたりまえのことのようだが、ベッカー流の経済学による結婚の分析や企業理論でもすくなくとも教科書レベルでは重要視されていないと思う。教科書レベルでは議論されない理由のひとつは従来の手法ではこの問題が分析できないことにあると思う。だが、以上の問題を分析可能にする道具はすでに随分まえに発表されている。それはWolinsky(1987) 'Matching, Search, and Bargaining' JETである。これはサーチの可能性がパートナー間の交渉、つまり、成果の分配にどのような影響があるか分析したものである。これは明示的にはサーチの断念を扱ってはいないが、結婚や就職をサーチの断念として分析する際、出発点となる文献である。