無茶苦茶簡単なマクロ経済学入門

たとえば、公務員試験のマクロ経済学IS-LMモデルはたった4本の方程式から、導かれる。だから、計算問題を解くだけなら、要領のいい学生なら数日でマスターする。多くの学生にとっての問題はむしろ、モデルと現実の関係をイメージできないことにある。モデルと現実の関係がわからなくては、公務員試験の選択問題は全滅だし、せっかく経済学を勉強しても経済記事もよめない。

IS-LMモデルが記述するマクロ経済の全体について、おおくの教科書では、家計と企業と政府のあいだの物とお金のやりとりを図示している。でも、これでも複雑すぎる。

たぶん、もっとも簡単な理解のしかたは、国民所得という財を生産する工場とみなすことだ。以下の記述は極度に現実を単純化してはいるが、ほとんどのマクロ経済学を教えている教師が無意識にあたまのなかに描いているであろうものを明示しているはずである。みんなこの程度の単純なモデルで現実をとらえているのである。

ひとつの経済では国民所得という一種類の財をつくりだす。この財は3つの用途がある。ひとつは消費者、あるいは労働者が食料としてたべる。これを、消費という。第二に機械としてつかえる。これを投資という。第三に道路になる。道路をつくるのは政府なので、これを政府支出という。これが、したがって、国民所得の合計は消費と投資と政府支出に一致する。

国民所得を生産するには、なんらかのインプットが必要である。この経済ではインプットは労働と機械だけである。

           +---------+
           |         |
          -+         +-
 労働 -->     生産      -->消費
 機械 -->               -->投資
                        -->政府支出
          -+         +-
           |         |
           +---------+

つまり、マクロ経済学のモデルは労働と機械を投入として、消費財と機械と道路を生産する工場としてみなすことができる。

クルーグマンの「経済入門」クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)では経済において、重要な問題は生産性と所得配分と失業だけだといっている。この3つの問題はこのモデルのなかで簡単に解釈することができる。

この経済で国民がゆたかになることは、すなわち、アウトプットつまり国民所得が増えることである。技術進歩によって、インプットが同じでアウトプットがふえると、国民所得がふえる。これが生産性の上昇である。

もちろん、インプットがふえれば、同様に国民所得もふえる。機械の台数はこれまでに投資された機械の総計である。(ここでは機械が古くなってこわれること、つまり資本の減耗は考えていない。)労働量は、その国の労働人口によってきまるが、労働人口は経済的でないおおくの要因の影響をうけるので、ほとんどのマクロモデルではすでに決っているものとしてあつかわれる。

そうすると、単純にインプットの量を増やすためには、国民所得のうち、投資にふりむける部分をふやせばよい。これは、マクロ経済学の教科書のうしろの方ででてくる。ソローの新古典派成長モデルの本質である。

ただし、実際に経済のなかにあるインプットがすべて生産につかわれるとは限らない。労働人口が100万あっても、ものが売れなければ、90万しか雇用されない場合もありうる。この場合10万人の労働者が失業する。この状況はすべての機械と労働を使って生産できる国民所得が消費と投資と政府支出をうわまわるためにおきる。したがって、失業をなくるすためには、なんらかの手段で、消費と投資と政府支出のいずれかを増やす必要がある。

政府支出はただ政府が道路をたくさんつくることを決めればよい。消費をふやすためには減税をする。投資は利子が下がれば増える。そのための話が金融政策についての議論だ。

所得配分の問題はだれが、生産された国民所得がだれのものになるかという問題である。