八百屋のリンゴは歩かない

マルクス経済学では「労働力商品の特殊性」ということがいわれる。我々が労働をしてお金をもらうということは労働力を売っているわけだが*1、それはほかのリンゴとか車とかその他もろもろの商品とは全然ちがう性質があるということである。

マルクス経済学の本などはここ十何年読んでいないので、マルクス、あるいはマルクス経済学者の解釈とはちがったことがらかもしれないが、労働力が特殊な商品であることはすぐわかる。たとえば、八百屋のリンゴは安売りで安く売られているからといって、八百屋の親父にもんくをいったりしないし、スーパーのほうが自分を高く売ってくれるからといって八百屋の商品をやめて、スーパーに行ったりしないし、店にならぶのが退屈だからといって八百屋から逃げだしたりもしない。ところが、我々は賃金が安くなれば雇い主に文句をいい、高い給料をはらってくれる他の職場があれば転職し、仕事があまりにも退屈ならば他の仕事をさがしたりする。

ここで話は突然変るが、学部のマクロ経済学、つまりIS-LMモデルはあたまのいい学生は大変不人気である。マクロモデルでは4つの市場がでてくる。財市場と債券市場と貨幣市場と労働市場である。ワルラス法則から、市場がn個あるときは、n-1個の市場で需給が均衡していれば、自動的にのこりの一つの市場は均衡する。ところが、IS-LMモデルでは二つの市場、IS曲線で財市場の均衡をあらわし、LM曲線で貨幣市場の均衡があらわされている。また、おおく教科書の説明では貨幣市場の裏で債券市場が均衡すると仮定される。

おかしい。財市場と貨幣市場が均衡しており残りの市場が債券市場だけなら、この話は納得できる。でも、残りは債券市場一つでなく、労働市場と債券市場の二つだ。ありうる可能性は

  1. 債券市場と労働市場のいずれも均衡しない
  2. 債券市場と労働市場のいずれも均衡する

のふたつだ。いずれか一つだけが均衡するのはワルラス法則に反する。

もし、IS-LMが失業の状況を説明するモデルであるのなら、債券市場と労働市場は、失業が存在する場合、同時に不均衡にならなければならない。労働力も債券も財と同じように商品である。財市場と同じように、ミクロ経済学どおりの需給の法則がはたらかず、均衡が二つの市場で成立しないのはなぜだろうか。

労働市場については、八百屋のりんごとちがって、労働力という商品は、賃金が安くなれば雇い主に文句をいい、高い給料をはらってくれる他の職場があれば転職し、仕事があまりにも退屈ならば他の仕事をさがしたりするからだ。とりわけ、賃金が安くなることへの抵抗はしばしば、不況にもかかわらず、(名目)賃金が下らない傾向をつくりだす。これは賃金の下方硬直性とよばれる。ケインズは失業にもかかわらす、賃金が一定であるモデルをつくって、それをあしがかりに理論を構築した。実際この部分は戦後の経済学のなかでかなりの発展をとげた部分で、労働市場におけるサーチ、交渉、期待*2の重要さは総供給曲線の説明のなかで定番となっているものである。

債券市場はどうだろうか。ここは実はIS-LMを修正しなくてはならない点である。ほとんどのマクロ経済学の教科書は貨幣市場と債券市場が同時に均衡することを前提にしている。このことはワルラス法則にてらして、労働市場の不均衡、すなわち、失業と両立しないことは明きらかだ。債券市場と同時に均衡することを仮定した貨幣市場の説明は、実質的には、人々がそれ以上、貨幣と債券を交換しない状態を説明している。これは人々がそれ以上債券の取引をおこなわない状態、つまり債券市場の均衡とみなせるし、そのほうが自然におもわれる。この見解は私のオリジナルではなく、故置塩信雄氏がやったという議論のまた聞きを参考にしている*3

貨幣には価格メカニズム上、きわだった性質がある。それは、貨幣には価格がないことである。すべての財の価格も、貨幣によって測られる。しかし、貨幣はそれ自身が価値の尺度だから、他の商品によって測られる価格をもたない。このことは、貨幣市場での需給の調整におおきな影響をはたしているはずである。

ここでの暫定的な結論はつぎのとおりである。IS-LMは財市場と貨幣市場の均衡をあらわすのではなく、財市場と債券市場の均衡をあらわす。労働市場と貨幣市場はその商品としての特殊性のから、財市場と債券市場にくらべて、均衡への調整スピードが遅い。したがって、いったん失業が生じ、労働市場に不均衡が発生した場合、それへの調整は財市場と債券市場のほうが早くすんでしまい、労働市場と貨幣市場は不均衡が完全には解消しない状態におかれる。だから、経済全体で均衡が成立している市場は二つだけ(教科書では、財市場と貨幣市場だが、ここでは、財市場と債券市場)でいいのであり、もう一つの市場(教科書では債券市場、ここでは、貨幣市場)の均衡さえいわなければ、四つのうちの二つの市場の均衡を分析するモデルは労働市場の調整速度が遅い経済の分析として根拠がある。

ただし、上の議論は貨幣市場についての議論を十分におこなってないので、あくまで暫定的な意見でしかない。信用しないでください。置塩論文をよまなきゃならない。また、こんな議論はきっとだれかだしているような気がする。

御礼:

ゼミ生の公務員試験でまともに考えてこなかった総供給のことをいろいろ考えさせられている。ゼミ生に感謝。それと、松尾匡先輩*4の『セイ法則体系』ISBN:4873784875 は刺激になった。読んでもらえれば、私の思考の底の浅さと、出発点が松尾さんの議論にあることとがわかると思う。ただし、ワルラス法則の適用の仕方について、私は実質的に松尾さんを批判している。

それとこれを書くきっかけは、奥さんに仕事のはなしをしているときに、うちの4歳のみーちゃんが話にわけもわからずわりこんできたので、「八百屋のりんごはあるかんだろーが」といったことだった。みーちゃんとさゆりさんにも感謝。

*1:我々が売っているの労働力であって労働ではないという議論があるのだがそれは省略

*2:りんごは明日の自分の売値には興味ありませんよね。

*3:置塩先生の主だった著書はほとんど持っているのだが、どの論文集にも入っていないので、よんでいない。と不勉強のいいわけ

*4:生れ歳は同じなのだが