なぜ経済学をするか

私が就職して二年目の授業の講義ノートのはじめの部分です。この頃はしゃべるのに自信がなくて、原稿つくんないと恐くて講義ができませんでした。

http://osaka.eco.toyama-u.ac.jp/~osaka/01kogi/all97

なぜ経済学をするのか

ご飯を残す子どもに、残さないようにしつけをするときに、「お百姓さんにもうしわけないでしょう」と昔はよくいわれました。この言葉には社会についての重要な見方が含まれています。つまり、お米はお百姓さんという他人が作ったもので、そういう他人との関係の中で人間が生きているという見方です。

しかし、今はそうした他人とのつながりが見えにくくなっています。もし、お百姓さんからじかにお米を買ったり、彼と物を交換したりして、生活しているのなら、その人は、お米を作っている人とどう関わるかが生活の中心になるでしょう。しかし、コンビニエンスストアーで、弁当を買って食べる人は、お百姓さんの顔を思いうかべる必要はありません。

しかし、今の世の中は、お百姓さんの顔が見えるような社会によりも、多くの人々と関わって生活しています。コンビニエンスストアーで買える商品の種類はどんどん増えていっています。ということは、より多くの人にものを作ってもらって生活をしているのです。

つまり、今の社会は多くの人々どうしがかかわって生活しなければならないのに、そのかかわりがまったく実感できないのです。鬼頭秀一氏は『自然保護を問い直す』という本の中でこうした生活のあり方を「『切り身』のかかわり」と呼びました。皆さんの中には切り身の度合いの小さい生活を営んできた人もいるかもしれません。しかし、少なくとも、テレビや電気洗濯機を使い、バスや電車などの交通機関を使い、大学で勉強するという中で、テレビ、洗濯機や、バスや電車を作っている人や、大学行政を作っている文部省のお役人を思い浮かべて生活している人は何人いるでしょうか。

自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク (ちくま新書)

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こうした社会では体験だけに頼って社会全体について何も考えることはできません。新聞や雑誌、本で情報をえる必要があります。しかし情報が増えるだけでは社会についての見方を持つことはできないでしょう。大量のデータを処理するのにコンピュータが必要なように、複雑な現代社会と分析するためには何らかの理論が必要です。皆さんがこの授業で勉強するミクロ経済学マクロ経済学はそうした社会についての理論のなかで代表的なもの一つです。

この授業では最初に経済学がこうした社会全体の中での人々のかかわり方についてどう考えてきたかを見ていきます。

複雑なモノの流れ

「お百姓さんにもうしわけないでしょう」という言葉は、社会関係のパイプとして、モノの流れを考えています。経済学の大部分の分析は、こうしたモノの流れをパイプとした人間関係を捉えようとしています。

じっさい、ほとんどの社会はモノの流れがとまれば、人々は一日も生活を続けることができません。ほとんどタダで手に入ると思われている水でさえ、水道がとまってしまえば口にできません。

現代の社会が分析しにくい理由のひとつは、このモノの流れがとても複雑であるからです。たとえば、お百姓さんがお米を作っていることがわかっても、社会のモノの流れのほんの一部にすぎない、米の生産をめぐるモノの流れは理解できません。米が生産できるためには、種もみ、農業生産のため必要な機械、農地などが必要になるでしょう。また、米が生産された後は、それはわれわれの手にわたる前に、さまざまな流通業者の手をへるでしょう。その流通業者もトラック、倉庫、在庫管理のためのコンピュータなどさまざまなモノを必要とします。

このモノの流れをきちんと捕らえることは現実の経済を予測する上でも、また、政策の上でも重要なことです。その例として、円高の経済効果を考えましょう。

みなさんは円高というのを聞いたことがあると思います。円高とは、簡単にいえば、日本国内で作られているものを外国で買うのにお金がかかるようになることです。たとえば、きのう、1台100ドルで変えた日本の自動車が、1台150ドルになったとすれば、円高なのです。(これはあまりにいいかげんな説明なので詳しく知りたい人は現代用語の基礎知識イミダスなどを見てください。)

こうしたことが起こったとき、外国の人は日本のものを買わなくなります。当然、そうすると、去年100万台だった自動車の輸出が、70万台に落ち込むといったことが起きます。かなり、極端な想定ですが、日本の輸出が自動車だけだったとすると、この時の円高の日本経済の直接的な影響は自動車の輸出の30万台の減少、それによる、自動車の生産の30 万台の減少です。

しかし、自動車の生産の減少は他の分野にも間接的な影響を与えます。自動車の生産が減れば、ものの流れを通じて自動車の部品の生産が減ります。自動車産業で働いている人の給料も減るでしょうから、その人たちは生活を切りつめるために、食料品、衣料品などの生産も減るでしょう。この結果、自動車部品、食料品、衣料品などの産業の人々の買う食料品や衣料品の生産も減ります。つまり、モノの流れを通じて自動車の生産減少が他の分野へ広がっていくのです。このように考えると、自動車というたった一種類の生産物の減少が、経済のあらゆる種類の生産物の減少を引き起こすかもしれないことがわかります。

実際の円高は直接に自動車だけでなく、日本国内のすべての輸出を行う部門の生産を減少させます。自動車の減少だけでも経済全体への効果はとても複雑なのに、輸出の減少する商品の種類がもっと多いとすれば、事態はさらに複雑になります。

基本の考え方

今から説明する投入産出分析とはこうしたモノの流れを説明し、分析する最も簡単な道具です。その基本となる考え方はすべてのモノの流れをある部門(農業、工業、商業など) への投入と産出と見なすことです。先ほどの米の生産の例でゆけば、米の生産部門にとって、種もみ、農業機械、農地などは投入で、米は産出です。米の流通業者にとって、米の生産部門から買った米、トラック、倉庫、在庫管理のためのコンピュータは投入で、小売店におろすパッケージされた米が産出です。

重要なことはあるモノの流れは必ずある部門にとっては産出であり、他のある部門にとっての投入であることです。たとえば、農家の作った米は米の生産部門にとっては産出ですが、米の流通部門にとっては投入です。

通常は、投入だけあって、産出を生まない最終部門という部門を考えます。労働をモノの流れに入れなければ、私たちの世帯(これを経済学では家計といいます。)は最終部門に入り、われわれが消費するものは最終消費財と呼ばれます。また、輸出もその経済の中では投入にならないので最終部門に含まれます。次の節でのべる資本財も最終部門への投入です。また、政府の作った道路なども最終部門への投入に含まれます。こういったものは政府支出と呼ばれます。最終部門への投入は、(1)最終消費財、(2)資本財、(3)輸出財(4) 政府支出がふくまれます。

こうして、ある経済のモノの流れはすべてある部門の投入と産出に分類されます。おのおのの部門の投入と産出の量を整理したものが投入産出表です。

フローとストック

次に注意すべきことは、モノの流れをはかる期間です。1年間の間に流通する米の量と、1ヶ月の間に流通するする米の量は違います。だから、投入産出表を作るとき、そこでしめされている各部門の投入と産出がいつからいつまでの期間のものであるかはっきりさせなければなりません。

期間の問題は厄介な問題を生み出します。今、計測期間を一年とする産業連関表を作ろうとしているとしましょう。その場合、トラックのような投入はどうあつかうべきでしょうか。新品のトラックは5年で使えなくなるとしましょう。すると、今年の新品のトラックの投入は来年から5年後まで、モノの生産に使われることになります。ところが、部門のあいだでのモノの流れだけに注目すると、5年間生産に使われているはずのトラックの投入が最初の1年間しかあらわれません。

この問題を回避する方法の一つは新品のトラックと中古のトラックを区別することです。新品のトラックをトラック1と呼びましょう。2年目のトラックはトラック2、3年目のトラックはトラック3などと呼びましょう。そうするとトラックはトラック1からトラック5 に分類されるわけです。○年目のトラックを1台今年使って、来年もそのトラックを使う業者を考えると、今年はトラック○1台の投入とトラック○+1の産出があり、来年はトラック○+1の投入があることになります。

しかし、現実に産業連関表を作るとき、この方法では計測が面倒です。調べる人はどこの部門でトラックが何台買われたかだけでなくて、どの部門で何年目のトラックが何台使われているかも調べなくてはなりません。だから実際にはもっと簡単で、おそらく皆さんには手抜きと思われる方法が取られてます。つまり、トラックのような投入は、最終部門への投入とみなされます。さきほど、家計(われわれの属している世帯)の消費は最終部門への投入とみなされるといいました。つまり、トラックのような何年も使われる投入は、われわれがふだん食べている食料品のように、最終部門に食べられてなくなってしまうかのように投入産出表のなかであつかわれるのです。

こういう統計の取り方をするとき、投入は二つの種類に分けられます。つまり、トラックのように投入されてから、期間を超えて生産に使われるものと、期間の間に使い尽くされるものです。トラックのようなものをストックといい、そうでないものをフローといいます。たとえば、米の生産に使われる種もみは、いったん使えばなくなってしまうものですから、フローです。

今までは、生産に用いられる財(生産財)を例に取りました。しかし、投入産出表以外の分野では、消費財にもこの区別が必要な場合があります。冷蔵庫のようなものはストックの消費財とみなされます。一般にストックの生産財は、資本とか資本財といい、ストックの消費財は耐久消費財といいます。また、フローの生産財は中間投入と呼ばれます。

このストックとフローの区別は経済学では頻繁に使われます。たとえば、皆さんはGNP 、または国民総生産という言葉を聞いたことがあると思います。これはフローとストックの区別に基づいています。このことは来週説明します。

フローとストックの区別は一種のてぬきです。調査と分析に十分な手間と時間をかけれるのなら、例であげたように、資本財を使用期間数によって区別する方が正確な分析が可能です。しかし、この手抜きはカンニングのような手抜きとは違います。カンニングは要するに不正です。しかし、フローとストックの区別は人間がものを調べたり、考えたりすることに限界があることから仕方なく行う手抜きです。経済学はいたるところでこのような手抜きをします。また、この種の手抜きなしに経済学はありえません。

続きは上記URLから読んでください。全部アップすると産業連関入門になっちゃいますから。えーと、最近はちょっと違うバージョンで「なぜ経済学をするか」を説明してます。私の職場のホームページにスライドがありますけど、原稿になってるもんあったっけ。探してあれば、追加でアップします。