ミクロバカな日々

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3c23abe9c9ac0f15d3d308a65174aa77
(昨日、ちょっとした更新でアップしましたが、Caballero-Hoshi-Kashyapをざーっとですが、読みましたので、加筆のうえ正式アップ。)

えー、こらさんのコメントに釣られて、さっそく、池田さんとこにコメントしました。それで思い出すのは私のミクロバカだった1990年後半のことです。そのころ私はミクロバカというかゲーム理論バカでした。神戸の博士課程の途中で就職したのですが、就職直前は経営学部の小島先生のゲーム理論の研究会と同じく経営学部の末広先生の授業が楽しみでした。

ゲーム理論による制度分析の典型的パターンでは、まず、ベンチマーク(比較の対象)として、パレート効率的な状況を記述する。次にパレート効率的な状況は情報の非対称性とか、コミットメントの問題によって実現不可能なことを示す。そして、実現可能な集合の中から、パレート効率的なもの(セカンドベスト)を示す。こんな感じです。それで目的は実現可能なもののなかからパレート効率的なものを探すわけなのですから、経済の状況のよしあしはパレート効率性によって判断される。こういう頭でっかちな観点から、バブルの崩壊を横目で見ていたのです。

そういう頭でっかちというかミクロでっかちでバブル崩壊を見ていると、もうそれは効率性がなんらかの制度設計のミスで実現しないからのように思えてくる。野口旭さんの本にミクロバカの経済学者の批判がいっぱい書いてますけど、あれはほとんどその当時の私に当てはまるのです。

それで、そのミクロバカの状況で、野口さんの本とか、山形さんの文章とか、あるいは、池田さんがその論文を引用している深尾さん、星さんが伊藤隆敏氏と一緒に発起人になっている「日本の金融システム再建のための緊急提言」を読んで、おおホントにオレはミクロバカだと認めざるをえませんでした。インフレターゲット云々より、学部初級の知識さえあれば、需要サイドの不況にしかみえないものを、供給サイドの効率性の問題のように見ていた。ああ、ほんとにオレはどうしようもないアホだと思いました。その上、星さんも深尾さんもゲーム理論的アプローチでも実力のある人たちだったので、ミクロが専門であれば、マクロがわからんのは当然などという言い訳はできないのも、明らかでした。ようするに学部のマクロ経済学さえ知っていれば、というか忘れてなければ、当然わかるようなことを見逃していたのですから。

それで、池田さんのここ最近のエントリを読むと、どうもミクロバカであったころの自分を思い出してしまいます。えーえー、大変失礼な言い草です。が、池田さんのいうように現状が短期的な需給の不一致の状態といえないのか、あるいは池田さんがまちがっているのかは、すくなくとも、初級のマクロの議論でもある程度議論できる問題です。池田さんは、その議論はネグって、単にこの「失われた12年」の全要素生産性の下落の並存を示しているだけで、「失われた12年」が全要素生産性の低下を生み出しているのか、あるいは逆に全要素生産性の低下が「失われた12年」を生み出しているのか、まったく議論していません。そのあたりの議論がなければ、ミクロバカになってしまうというのが、ここ10年私がいろいろな方から学んだことなのです。

ただ、池田さんのエントリは勉強になりました。その点は池田さんへのコメントに書いたとおりです。その点については、いずれポジティブにとりあげたいと思います。

追記

池田先生のコメント欄で、まるでゼミの先生のような暖かく厳しい御返答。池田先生のおすすめの林文夫注文します。