ハッカーになろう

それでも結局のところ、ハックが起こした問題は別のハックでしか直せない。科学の過ちを正せるのは科学だけなのだ。そして実際にその作業を覗いてみれば、それは辛い以上に楽しい作業であることはすぐわかる。疑似科学は、正しくない以前につまらないのだ。

そう、ハッカーは楽しいのだ。私はハッカーになりたい。perlもハックしたいし*1、科学もハックしたいし、何よりも自分の人生をハックしたい。(あ、なんとなく弾さん風だな)

ところが、弾さんはハッカーの楽しみを知っているのに、科学者とプログラマハッカーで楽しみを独占しようとしているようだ。

404 Blog Not Found:どうせ信用するならエセでない科学を
そして、なぜエセ科学が蔓延するかといえば、我々の信用システムが、「実証を信じる」ではなく「人を信じる」からだからに他なりません。裏を返せば、エセ科学は我々がいかに科学を信用するようになったかという証しでもあります。

これは「われわれ」が自らハックするんじゃなく、ハッカーを信用することで用を足している樣を描写している。「われわれ」といいつつ、ハッカーたる弾さんは実はこの「われわれ」に含まれていないことは確実だ。どうして弾さんはみんなハックしようといわないのだろうか。

404 Blog Not Found:どうせ信用するならエセでない科学を
一つ提案がある。「ここまでなら信じてもよさげリスト」というのを、科学者一同で作ってみたらいかがだろう。

はっきり弾さんに言おう。プログラマと自然科学者だけにハックを独占させるつもりはない。プログラマと自然科学者が作ったモジュールを黙々とつかうつもりはない。われわれはperlはおろか、バッチファイルしか使えないかも知れない。でも、科学はハックできなくても、perlをハックできなくても、科学者の作ったモジュールを自分の人生で使うつもりはない。もちろん、ときにはソースをコピペすることもあろうが、ちゃんとアルゴリズムやデータ構造は理解していたい。(あーでも、Cで書かれたソースをどうやって、バッチファイルに貼ってつかえばいいのだろう。)

最後に言おう私はファシストだ。私は人間はすべて自分の人生については、ハッカーになるべきだと思っている。ハックの目的たる仕様書を持って生れてきていると思っている。ハックに疲れて、他人の作ったモジュールを使うことはあろう。でも、ハック自体あきらめることを私は他人にも自分にも許したくはない。

Hiroshi the Beginner of Hack

*1:これは多分無理だな