医者は万能でない

説明の仕方の他に、医学の限界そのものも、患者さんの満足度を落とす。脳卒中後の半身不随の人が胃癌になって胃切除を受ければ、術後の闘病生活は苦しいであろう。しかし、手術しないことにはいずれ胃癌が進行して亡くなるのである。痛みも苦しみもなく治すのは無理だ。こうした理由で、現代医学ですべての人を満足・納得させるのは不可能である。コストをかければ(たとえば医師数を増やして説明に費やす時間を増やす、など)、いくばくかは状況はマシになるだろうが、それでも医療不信はなくならないであろう。医学は万能ではないのでこれは仕方がない。

ここ最近考えてきたことは、医者であっても試行錯誤しながら、医療をしているに違いないということだ。確かに義父の件では、医者は専門家なんだから適切な治療を医者は知っているはずだという思いこみがあったのかもしれない。(ただ、もっときちんと説明してくれればという思いは義母にはあったと思うが)母の病気のことでも、父の気持は予想するしかないが、私の気持としては、完璧な治療をしてくれる医者がいることを期待していたように思う。私はよく猫の目のように変わるように見える健康情報(これは医療の側でなくマスコミの側の問題かもしれない)を見て、「あてにならんなあ」と感じていたが、それも医学の対象が人間の身体という複雑なシステムであり、個々人の違った病気や体を対象としていることを考えれば、試行錯誤が付きものであるのはむしろ当然のように思う。

お産では、ある確率で胎児や母体の死が避けられない。遺族から過誤と訴えられるケースが増え、刑事責任の追及まで続いて、大学を出たばかりの医師が産婦人科を避ける傾向がますます強まっている。

このような出来事の背景には、司法の側にも、一般社会の側にも、医療が試行錯誤の側面があり、万能でないことの無理解があるように思う。と、私も母の件が一段落したので、他人ごとのように言えるのであり、母が死にそうになっていた時期にこう思えたか自身はない。しかし、万能でない医療に万能を期待することは、誰にとっても誤った判断しかもたらさないのは事実だろう。

ただ、我々は自分や家族の体を信頼できないものにあずけることはできない。たぶん、医療はしばしば誤ることを前提としながら、なおかつ、信頼に足る選択の仕方のようなものが必要な気がする。

追記

poohさんがすでに同様の問題を扱っておられるのに気がつきました。

救う、こと——続き:Chromeplated Rat