コルホーズにおける「経済学的発想」(松尾論文へのコメント)

うー、学生と読書会終って、飲み会だー。いましか書けん。

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

というわけで、献本いただいてから、長期放置状態の松尾さんの例の論文へのコメント(リンク等はあとでちゃんとしますんで。すみません)*1手元に本がない状況で書いてます。ごめんなさい。

最初に本全体についてですが、この本がリフレ万歳本だという批判がありましたが、それはちがうと思います。第一点には林=プレスコットにはじまり、あのぶ厚い林本にまとめられた、平成不況をサプライサイド不況と説明する説をこの本がぼろくそにしているわけではありません。これはこの本の著者達の見解ではなく、私の印象なのですが、この本で批判されているのは、小泉「構造改革」派、および、野口悠紀雄(あーいっちゃった)とかつての私(以前のエントリ「ミクロ馬鹿の日々」読んでください)のような人々であって、とりあえず、林一派(というと怒りますか)のように、筋の通った反リフレ派をぼろくそいうのが、少なくとも主目的ではないと理解してます。

それをふまえていうのですが、この本はその意味で、政策形成の一般理論構築への重要なあしがかりではあるけれども、対象自体は、まっとうなリフレ派対痴呆ミクロバカの対立がめだったいた時期に限定されている考えています。したがって、松尾さんの経済学発想も確かに経済学の基礎知識と直結しているものをとりあげているにもかかわらず、それが一般的に妥当な現状認識をうながすかどうかについては、多少の留保が必要に思います。

たとえば、ケインズの一般理論を出版のすぐにうけいれた人々はどうだったのでしょうか。いろいろいるのでしょうが、大恐慌で失業があふれかえっている状況を目撃して、その経済秩序の状態を人智によってコントロールすることを期待する、松尾さんからいえば、操作可能命題を抱いていた人々がケインズにひかれた側面は大きかったように思います。一般理論に対する「あんなの部分均衡分析でないの」という一般理論への批判のほうにむしろ操作不可能命題に近いものを感じます。また、ケインズ政策金利生活者窮乏化の側面から、ゼロサム命題的にケインズ政策を支持する人もいたのではないでしょうか。

確かに市場経済は交換のない状態にくらべれば、パレート優位ですが、市場経済の中での政策によって実現可能な利得のフロンティア上では、ゼロサムに近いケースはありえます。例えば、公平性と効率性のあいだのトレードオフがあれば、効率性をあげれば、貧困層の利得がさがり、経済全体から多くのパイの配分がある富裕層の利得は下ります。インフレターゲットが有効であるような経済状況においても、実質金利の下落は雇用を増加させることで失業者の利得を上げますが、株や債券などの利回りで食べている金持ち老人の利得は下ります。

もっと極端な例をあげましょう。コルホーズで多くの人々が強制労働につかされている状況で、非常に生産性が低く、多くの人々が不満をかかえているとしましょう。ここで、共産党は「生産性が低いのはみんなが利己的で自分勝手であるからだ。みんなで協力すれば、みんな幸せになるはずだ。共産党が搾取しているから、人々が貧しいなどというのは、経済学を知らないトンでもだ」といって、さぼった労働者はクルメール大学のマツオニッチ・タダースT. A. ダスマツォフ准教授にリカードの比較優位説の講義を強制的に聞かされるとしましょう。このような状況でT. A. ダスマツォフが反動であり、T. A. ダスマツォフの経済学的発想も反動であるのはいうまでもありません。

市場経済全般を理解する上では、経済学的発想は重要ではありますが、ここの経済状況に関しては、それが、正しい認識の足をひっぱることはありえますし、逆の発想がまっとうな認識をうながす場合もありえます。過去ミクロバカであった私にとって、松尾論文は耳がいたいものでありましたが、正直いってうーんと思ってしまうのです。

大学の教員としては、松尾さんのいう経済学的発想はなるほど、その通りですし、松尾さんほどクリアでないけど、陰謀論っていうのは、経済学からほど遠いんだよくらいのことは言ってきたつもりです。だけど、成果があがりません。けれども、それは、経済学内部ではなく、広い知識一般の観点から見ればそんな惡いことではなかなーとも思います。経済学的発想ではなく、世間の人々の経済への認識は、経済学の教育以上にその人の育ってきた環境に左右されるものです。ダスマツォフに洗脳されたくらいでは、階級意識を根絶することが不可能なことは歴史が教えるところです。ひとそれぞれの歴史を背負って、社会があーなったらなーとか、今の社会は素晴らしいとか、リフレマンセーとかいっているわけで、まあ、時にはそれでコーゾーカイカクなったりすんですけど、それ自体が人々の生きてきた歴史が社会に反映されるプロセスであって、いつかは人々の思いの上部構造が下部構造と齟齬をきたして革命だーなどと、松尾さん以上にマルキストになっている今日このごろです。(なんのこっちゃ)

*1:一ヶ月放置してごめんなさい。