創造的破壊のメカニズム

もう、1年くらい前になるけど、サーベイもせず、学部のころかじったマルクスとかシュンペーターとかを思い出しながら、技術革新のことを書いた。そこでの要点は、経済学では技術革新が起るメカニズムは解明できないけど、技術革新のインセンティブはたぶん説明できて、それは概ねマルクスシュンペーターの議論とそうかわらないのではということだった。最近、おくればせながら、「イノベーションのジレンマ」を読んで、もうちょっと技術革新が起るプロセスについて経済学でいえるのではないかと感じている。

たとえば、生物の進化によって、目のように光に依存しなくて、なおかつ、全ての面において視覚にまさるような感覚器官が生れるとすれば、それは、太陽光線のとどかない深海のような場所においてであろう。そのような器官をもった生物ははじめは深海の底にとじこめられているが、その器官が十分に発達すれば、その生物は他の領域に浸透しはじめるかもしれない。それが他の領域に浸透しはじめれば、感覚器官の優位性によって、生存のための資源を競合する他の生物を圧倒しはじめるかもしれない。

このような進化の前提条件のひとつは生存条件の不均一さにある。もし、地球の生物の住む領域のすべてに太陽光線がとどくのなら、このような器官はそもそも発生しない可能性が大きい。目にたよれない状況にある生物があるからこそ、目に対して優位性をもつ器官が発生する可能性がある。

イノベーションのジレンマ」のキーワードの一つはヴァリュー・ネットワークである。これは本の中ではあまり明確に定義されていないように感じるが、私はある製品の品質について、企業、分野ごとに違う価値づけをもつことにポイントがあるように思う。この状況は、もし、一つの製品が個々の品質の可塑的なかたまりのようなものであり、なおかつ、企業の参入退出が自由な完全競争なら、個別の主体ごとに製品の品質にことなる価値付けをする余地はない。最終的に製品にある品質を付け加える限界費用はすべての企業で均一になり、ある異なる品質の限界費用の比はすべての消費者の限界効用の比と均等化する。

このような品質への価値付けの違いが、大企業が支配しているようなボリュームの大きな市場と違う目的を追及する市場や組織に破壊的なイノベーションへのインセンティブを起させる。

したがって、「イノベーションのジレンマ」の背景にある状況は経済学的にいえば、製品の品質についての市場の調整や企業の参入退出が完全ではない状況である。

と、いうようなことを考えていたら、池田さんが興味深い本を紹介していた。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/469b78d14dc79275a088282f0cf8db9c

企業特殊的資産は上記のような価値付けの不均一性をうみだす大きな要因である。Jahnsson Lecturesシリーズは私のような不勉強な研究者がしったかぶりをするネタとしてすばらしいシリーズなので、さっそく注文して、読むことにしたい。

ただ、池田さんの議論にはちょっとだけ違和感がある。

90年代の日本で、破壊だけが起こって創造が起こらなかったのは、系列関係などの関係的取引による強い固定性が原因だ。こうした古い産業構造を破壊し、まだ生き残っているゾンビを一掃しない限り、日本経済の長期衰退は止まらないだろう。

このような固定性を経済の循環にあわせてコントロールすることが可能なのだろうか。企業の組織形態はかなりの時間を要して発達していくものであり、経済政策としては、コントロール可能な変数と見做すより、政策のパラメータを見做すほうが、適当なように思える。バラマキや公共事業が固定性の負の側面を助長したという主張なら納得できるのだが。