新潟大学のインターゼミはとっても面白かった

半分17日のエントリのfuku33さんへのコメントの返答のつもりで書いています。(いつもながら、返事が遅くてごめんなさい)

22日と23日と新潟大学でインターゼミという全国の経済学部の学生の討論会があって、それに引率みたいなかっこうでついて行きました。本当は2グループくらい自分のゼミの学生を参加させるつもりだったのですが、討論相手が最終的にきまらないくて、結局、私のゼミからは報告と関係ない学生をふたり(一人は別学部の大学院進学のための浪人、もうひとりは、他ゼミの準備にかかわっていいた学生)だけだったので、やっていたことは、素人ツアーコンダクターになってしまいました。前日はホテルの部屋割りやって、行きのバスの中では「トイレ休憩は2時45分まででーす」。

そうすると当日はすることないので、ウチの大学の他のゼミの討論会をのぞきに行きました。午前中のぞきにいったのは、事前の学内報告会で私ともうひとりの同僚で完全につぶしてしまったグループの報告で、つぶしておいて、フォローなしではちょっと、といううしろめたさがあって参加しました。事前の報告会のあとに修正した提出論文をみせてもらっても、まあ、ずいぶんがんばっただろうけど、これじゃ、たいした討論会にならないなと思いました。討論相手の論文も第一印象では対していい論文とは思えなかったし。

ところが、期待に反して、討論会は実に実りの多い形で終りました。私が目を引いたのは、議長がすばらしいことです。司会進行という意味でも上手だったのですが、発言のある度に発言の内容を自分なりに要約するのですけど、その時の態度が彼が発言者への関心の強さを場にかもしだしていて、はたから見ていると、議長の発言者への注意力がガソリンとなってエンジン回しているようにさえ見えました。

それで、あー司会がいいと討論会はうまくいくもんだなーと思いながら、午後、別の討論会をのぞきにいきました。そのの議長もなかなか上手な学生さんだったのですが、うちの大学の某ゼミの連中がひどい(終ったあとバスの中でおもわず説教してしまいました)。議長「富山大学さん、いかがですか」「………」はじめの30分くらいずっとこうです。だんだんと2人ほどの学生が、とつとつと話はじめましたが、もう時間の半分くらいつかい切っていて、討論のまとめをしなくちゃいけない議長さんがほんとに気の毒でした。

そこで、はたと気がついたのですが、午前中の討論会は議長が天才的にすばらしい人だったのは事実だけども、それだけではなかったのです。ウチの大学側のグループリーダーは、非常に正義感の強そうな人物で、論文ではそれが事実を検討を疎かにしてスローガンをぶちあげるような傾向になっているように感じたのですが、討論では、相手方もいることもあって、そのような空回りもなく、彼の人柄はいいほうに働いたように感じます。思うに彼はどちらかと言えば討論会のような場で実力を発揮できるタイプだったのかもしれません。

それで、出てない人にとってはつまんない話をえんえん書いちゃったのですが、私の場合は、いい論文なりレポートが書けるとか、経済学をちゃんと理解しているとか、そういうところに注意がいきすぎてるなーとちょっと反省しているところです。ただ、それは(自分に甘いいいかたを許してもらえば)、それ以外で学生を評価できる場とか雰囲気が失しなわれた結果ではないかとも思います。午後の討論会の「いかがですか」「………」は多くの教員が経験していることだと思います。

すくなくとも、1年生のゼミなんかで、ちゃんと討論が成立することなど皆無になっていて、しかも、これはずーっと前からそうではなくて、以前は20人いれば、数人は討論をしようという気があったように思います。だから、逆にこちらも、そうでないとこ、ちゃんとミクロ経済学の用語を理解しているとか、ちょっとした計算問題がとけるとか、そんなとこにシフトしていって、学生がますます、そっちのほうしかできなくなる*1という悪循環に私の場合はおちいってしまってんのかなーと感じたりします。

そんで、午前の討論会の天才的議長を思いだして感じるのは、やっぱり、議論できるとか討論できるとか、そういうところを伸ばすのって、結局はちゃんと聞いてあげることなんじゃないかと思います。このことは私なんかよくわかることで、ブログにコメント来ると狂気乱舞ですし、注目のエントリーなんかくると、よっぱらいみたいになります。なにがうれしいのかというと単純に他人の注目がうれしくてたまらんわけです。そんで、討論会なんかでも、彼みたいに、あー私はあんたの話を聞いているオーラを持っている人がいると、みんなよっぱらっていい討論会になったりするんじゃないかと想像します。

先日のfuku33さんのコメントに最近の学生の愚痴を書きましたし、この記事でも書きました。ただ、それらは単なる愚痴でなく、かつての学生が高校までで身につけていたことを現在の大学生が身につけていないものがあるのは事実だろうと思います(逆もことがらもきっとあるんでしょうけど)。でも、その状況で必要なのは、例えば、議論がヘタであっても、議論をしようとしていることに十分に注意をはらうというようなことではないかと感じています。

*1:そっちのほうさえできなくなるという場合も