「秋山のブログ」の『リカード貿易問題の最終解決』関連記事

更新できなかった理由。
http://ameblo.jp/chichukai/entry-11874155582.html

TPPに関する考察
http://ameblo.jp/chichukai/entry-11877367944.html

価格はどうやって決まるか?
http://ameblo.jp/chichukai/entry-11878656204.html

不況を解消するためには
http://ameblo.jp/chichukai/entry-11883957533.html

リカード貿易問題の最終解決――国際価値論の復権

リカード貿易問題の最終解決――国際価値論の復権

塩沢由典さんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20140412#c1403195869
で、上記のブログの記事を教えていただいた。

また、関良基さんのブログで、この記事をめぐっての塩沢さんと関さんの議論のログが公開されている。

http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/d7a636784a534cb08de7441c11abd38a

秋山さんは1ヶ月かけて、『最終解決』を読み込まれたとのことで、私なんかより、よっぽどちゃんと読んだことがうかがえる文章ばかりである。

秋山さんの力量もあるのだろうが、塩沢さんの本がとても多面的な本であることが、経済学を専門としないかたが深く内容を理解することを可能にしたようにも思う。『最終解決』はリカード・スラッファ貿易理論の完成した姿を伝える本であると同時に、そのような完成を可能にしたアプローチの特質と、なぜ、他の誰もそれができなかったかを明かにすることも目的としている。それは理論のコアを問うことでもあり、経済学の歴史を問いなおすことでもある。その意味で、内容の高度さにもかかわらず、とてもユニークな経済学入門になっていると思う。

私自身についてもなのだが、塩沢さんの経済学者への影響はかなり「破壊的」な部分があったように思う。『市場の秩序学』あたりを、ええかげんに受容してしまうと、形式だった経済学への反感ばかりが増長されるような傾向があり、塩沢さんも反経済学的ないちゃもん(あるいは、共感)をつけられて迷惑もしたのではと想像する。そのあたりでバランスをくずしちゃっている反塩沢派も塩沢シンパも『再建する』と『最終解決』を読んでバランスをとりもどすべきではと思う。(そういう人は、そもそも『近代経済学の反省』をちゃんと読めていないことを反省すべきだが。)

経済学を再建する―進化経済学と古典派価値論 (中央大学企業研究所研究叢書)

経済学を再建する―進化経済学と古典派価値論 (中央大学企業研究所研究叢書)

近代経済学の反省 (経済学研究双書)

近代経済学の反省 (経済学研究双書)

同時に秋山さんのブログを読んで感じたのは、医者で素晴しい医療経済研究家がたくさんいるのはどうしてだろうということだ。池上直己さんとか、二木立さんとか、アマチュアの域を越えている方が何人もいる。他の分野で◯◯経済の第一人者が◯◯の専門家ということはとてもまれだと思うが、医療では、すくなくとも第一人者に近いひとが医療従事者である。

それとインターネットが普及しはじめたときにも強く感じたのだが、職業的な研究者でなくても、きちんと研究している人は少からずいるということだ。

話がとてもとんでしまうのだが、職業的な研究者が学問の自由を声高にいうのが、とても嫌いで、職業的な研究者の学問の自由など、せいぜい、すべての人が学問の自由を享受できないような資源の制約のもとでくらいでしか正当化できないものと思っている。職業的な研究者なんて絶滅してしまっていて、研究したい人は研究する自由と資源があたえられるのが、本当の学問の自由の実現された状況のように感じる。リカードも、マルクスも職業的な研究者ではなかったのだし、職業的な医者がいない状況はとても困るが、学問の自由が本当に保障されたもとで職業的な社会科学の研究者がいない状況はべつに誰もこまらない。(私もふくめた大学の教員をのぞいては)