ここしばらくの要お勉強リスト

これでもこのブログは大坂センセイがマルクス、マーシャルになるまでの足跡を記録するブログでして、まじめに勉強したいと思っているわけですが、自分のお勉強と思っていることより、田中くんとか山形さんのことかくと人がよってきて、(一瞬はとってもうれしいけど)悲しい思いをしているわけです。そんでも、ときどき「まじめにやんなさい」的なコメントがきますので私にとって大事なみなさまのためにお勉強プランをちょっと。

みなさんも薄々感じていると思いますが、私、まっとうなサーベイして研究するというのは苦手です。車輪の発明でいいから、学部生に毛が生えたというより、学部生がハゲになったような知識を自転車操業するというパターンです。

それでまず、もう忘れ去られたかもしれませんが、47thさんと経済発展考えるという企画ですが、47thさんがブログお休みのようで、連絡つきませんが、関係ないスレッドでも実は経済発展考えてたりするのです。ちょっと考え始めて、前に挙げた神戸大国際経済グループの本よんだり、濱口さんとこで触発されて「実体主義と流通主義」とか、技術の話を考えたりすると、これは悪口でもなんでもないつもりなんですが、通常の国際経済の枠組みというのは技術面を与件にしてやっていることがどうも自分の問題意識とかけ離れてくるわけです。

それで、たとえば輸入代替化政策あたりの、古典的な従属理論の問題意識とか、まだぜんぜんわからんウォーラーステインなんかの話をちゃんと技術進歩の動因を配慮して考えてみたいと思っているわけです。

そんで、このあたりの枠組みというのは、もうマルクスの特別剰余価値とか、シュンペーターイノベーションとか、まるっきりそのあたりのふるーい議論なんですが、そのへんで考えられる問題はちゃんと考えてみたいなと思っているのです。

それと、シュンペーターマルクス的な議論と人的資本投資の話って、ひとつの問題の特殊ケースとして扱えるようにも思っていまして、そのあたりをやんないとなと思っています。

それで書きたいと思いながら、今週酒ばっかり飲んでて(経済学の話もしてたんで、勉強にもなったんですけど)、書きたくてもかけんかったエントリのアイディアというのは

それと、「利潤、成長、レント」の続きです。

それともっとマイナーなネタなんですけど、バックミンスター・フラーが好きでして、インターネットがらみの話とフラーの電力線グリッドの関係なんかを最近いろいろ考えたりしています。自分としてはフラーの自己顕示的というか誇大妄想的に見えるところが、フラーに共感を覚えつつなんか嫌だったんですが、そのあたりが最近ぜんぜん反転してしまったというか、フラーを変なおじさんと思わなくとも、普通の人の書いたものとして、誇大妄想的に思われているとこも、フラーの正直な意見として違和感なく読めるようになった気がします。まあ、このブログを定期的に来てくれる人には興味ないかもしれないけど、ぼちぼちと書きたいなと思っております。

そんで、ふまさんとのお話ででているFTPLですが、ちょっとだけまじめに勉強すっかと思っています。私はマクロに関してはブランチャード=フィッシャーなんか大嫌いで、特に今から10年前は「あんな非現実的な仮定からはじめるのアホとちゃうか」という感じだったんですけど、FTPLっていうのはなんかそのへんの非現実なことやっているアホという印象があまりしない。多分、ふまさんとの話でこっちにFTPLの問題意識を共有する土台があったからで、逆にいうと今まで、ああいう最適成長マクロモデルに対して超越的な批判というか、頭ごなしにダメというところから接していたような気がしまして、一般的な非新古典派経済学者の新古典派マクロモデルへの偏見の自己分析みたいなのも考えておるわけです。はっきりいうとそのへんの自分の中にある非新古典派のあほらしさ、逆にいうと新古典派経済学者の現実への態度の正しさへの漠然とした印象というのはあったんですけど、それと新古典派モデルの非現実さの間でちゃんと考えられないというのがここしばらくの私のわだかまりであって、最近はそんなん解決せんでも、経済学やりながら考えればいいやんというのが最近の感じで、そのええ加減なスタンスから、かつての私もふくむくそマジメな非新古典派の心情を批評してみたいなどと思ったりすんのです。ある意味では、稲葉さんあたりと共通する問題意識なのかもしれませんが、多分、稲葉さんと違うのは新古典派はやはり理論としてはどうしようもなくアホであって、理論はきちんとしろよという部分に関しては塩沢由典先生*1とかも含めて全然異論はないわけです。それで方法論的個人主義なんて、やっぱり認識論的障害だっていうほうが絶対正しいと思っていて、でも正しくて使えるモデルがないので、みんな使っているわけです。それがどう現実からずれているかっていう問題については正しいというか新古典派的な議論でなく、もっときちんとした議論が必要だろうと漠然と考えているわけです。

そろそろガキンチョ1号がゲームさせろとうるさいのでこのへんで。

奥さんが東京から帰ってきて、漫画喫茶→牛丼屋から自宅にもどったので、追記です。上に上げたうちの「ゼロ利潤の意味するもの(会計学的利潤と経済学的利潤)」っていうのは、理科1の経済学の一環でもあるわけです。ちょっと考えこんでるのは「なぜ経済学をするか - 痴呆(地方)でいいもん。」が思いのほか反応がないことで、私が優しい経済学書いても需要ないのかなと思っているわけです。お調子もんなんで、書いてほしいよーという人がひとりでもいたら理科1の続きもぼちぼち書くんで、そういう人はコメントください。それかはてなにブックマークください。私はコメントないと生きていけない人間なんですう。

*1:本人知ってますんで先生と呼びます