ゼロ利潤ってなに(会計学的利潤と経済学的利潤)

なぜか評判がいまいちの理科一分野の経済学の一環です。

ゼロ利潤っていうのは、ミクロ経済学ではとっても重要な概念だけど、一番反発がある部分です。ミクロ経済学の教科書には長期均衡で企業はゼロ利潤になるって書いています。これをいきなり読むと「そんなあほな利潤がゼロの企業がやってけるわけないだろが」とほとんどの人が思います。マルクス経済学がはなやかしころは「ゼロ利潤などブルジョア経済学*1の欺瞞である」などと書いてあるのを見たような気がします。

それとここだけの話ですが、ミクロ経済学の専門家の顔している人でも、「ゼロ利潤っておかしくない?」って聞かれてちゃんと答えられない人がけっこういそうな気がします。ひどいのになると、自分の論文で使っているのに、内心へんだと思っていて、エライ先生がやっているからというヤツもいそうな気がします*2。というか、私も修士の終わりごろでもそんなレベルだったような気がするのです。

それで話のポイントはミクロ経済学でいう利潤はマルクス経済学を含む、ほとんどの人が使う意味での利潤と意味が違うってことです。このちがいは費用という概念の違いからきます。

ミクロ経済学でいう費用というのは機会費用です。例として、10パーセント引きの商品券かって、額面の5パーセントのもの買って、おつりで商品券代がもどってきて、「ただで物が買えたー」ってよろこんでる人とかってテレビで見たことないですか。こういうひとって、日常の用語では「ただで、買い物ができた」ってことになるんですけど、ほんとにただでしょうか。すぐわかるのはたとえば10円の鉛筆買うためにわざわざ商品券を買って、鉛筆一本買って、レジにならんでっていうことをするわけです。疲れますし、時間のむだですね。一本の鉛筆買うのに10分くらいかかるわけです。一時間かかっても60円です。そうです。このひとは「タダ、タダ」とよろこんでいるけど、実質的には時給60円の労働やって、よろこんでるオオバカもんなわけです。

こういうオオバカものは実際には損しているわけですけど、通常の費用の基準、つまり会計学的な費用では一銭もお金はらっていないから、60円の鉛筆を得していることになっているのですが、こんなオオバカものはちゃんと損していることがはっきりした基準で物事考えたいというのが、経済学的費用なわけです。

それで、オオバカな人でも時給300円の仕事にはつけるとしましょう。そのときに、あの人がせっせと商品券かって、鉛筆一本づつ買っててやってるとします。彼は300円の仕事を棒にふって、60円のもの手にいれてるわけです。このときのぼうにふった300円の仕事を経済学では機会費用とみなします。

逆にいえば、300円の仕事についているひとだって、費用がないわけではありません。すくなくとも、商品券かってレジにならんで60円で稼ぐ機会はのがしているわけですから、最低限60円の費用をかけて、300円の賃金をかせいでいるわけです。もし、彼がおんなじような仕事で時給600円の仕事があったとすれば、時給600円の仕事は300円の仕事のための費用であるわけです。

それで、こんどは企業のことを考えましょう。一年間かけて、費用1万円で純益が千円だったとしましょう。会計学的利潤で利潤率を計算すると、10パーセントの利潤がえられたわけです。ところが、このとき、おんなじ金額を他人に貸し付けていれば、確実に10パーセントの利子がえられたとしましょう。つまり、一万円で千円の利子がえられます。そうすると、企業は事業に使った費用1万円を並行して他人に貸し付けることはできないのですから、千円の利子を犠牲にして、千円の利潤をとったことになる。つまり、経済学的にはぜんぜんとんとん、千円を犠牲して、千円を得たのでこの企業は利潤ゼロといえます。

正確にいえば、この企業は利潤ゼロどころか、利潤はマイナスでしょう。なぜなら、債権というのは*3確実に利子がもらえますが、企業の行う事業はもうかるときもあり、失敗するときもあります。だから、とんとんといえるには安全な債権の利子よりに一定額のうわのせがないと割りにあいません。この部分をリスクプレミアムといいます。したがって、経済学的ゼロ利潤においては会計学的な計算において、

利潤率=安全利子率+リスクプレミアム

が成り立たなければなりません。したがって、ゼロ利潤でも、普通に考えられる利潤を企業は得ており、ブルジョア経済学の欺瞞でもなんでもないのです。おそらくおそらくマルクス経済学でも同じことは考えられていて、大昔の記憶なのですが、スウィージーの「資本主義発展の理論」で同種の式を見たような記憶があります。マルクス経済学ではこれは正常利潤とよばれるはずです。

またミクロ経済学で、利潤=0とおかれて、ゼロ利潤が想定されているときには、資本ストックなどの利潤をもたらす財の価格に正常利潤をうわのせしたものを費用とみなしているわけです。

さて、ミクロ経済学では長期においてはゼロ利潤が成立するとしています。これはマルクス経済学では利潤率均等化がなりたっている状況です。長期の均衡は(1)すべての生産要素が可変的である(2)企業の参入と退出が自由であるという二つの条件をみたしたものですが、ここでは企業の参入退出の問題だけをとりあげます。

短期において、企業は参入退出はかならずしも自由ではありません。つまり、その市場で正常利潤をこえる利潤がえられるとしても、すぐに参入するできるわけではなく、また、その市場にいる企業の利潤がゼロ利潤を多少したまわっていても、すぐに店をたためるわけではありません。しかし、その市場でゼロ利潤をこえる状況がつづけば、その市場にははやかれおそかれ、新しい企業が参入してくるでしょう。その結果、ひとつの市場で企業数が増えるのですから、その市場でえられる利潤はすくなくなってきます。このプロセスは利潤がゼロ利潤状態にいたるまでつづきます。逆にある市場の利潤がゼロ利潤をしたまわっていれば、その中の企業ははやかれおそかれその市場から退出しようとするでしょう。その結果として、ひとつの市場で企業数が減るのですから、しの市場でえられる利潤は多くなります。このプロセスも利潤がゼロ利潤状態にいたるまでつづきます。これによって、長期的にはある市場で利潤がゼロ利潤を下回っていても、上回っていても、ゼロ利潤状態に近づいき、そこにいたります。

これは通常のミクロ経済学ででてきた、マーシャル的な長期均衡の話ですが「経済学における実体主義と流通主義 - 痴呆(地方)でいいもん。」でマルクス経済学であってもここの話はほとんど一緒のことを松尾匡さんの本を参考に説明しました。リスクのない、つまり企業のリスクプレミアムがゼロの状態ではすべての市場で長期均衡がなりたっている状態ではすべての市場の利潤率は安全利子率と等しくなります。この状態がマルクス経済学における均等利潤率が成立した状態です。


*1:マルクス経済学でない経済学に対する罵倒語、もしくは差別用語

*2:初歩的なことよく知らんで論文書いているひとって結構いるもんです。

*3:ここでは借り手が踏み倒すことを考えてません