宇野弘蔵再読

前のエントリを書いたあと、久し振りに宇野弘蔵を読んでみた。例によって、ええかげんに読んだんだが、本当の宇野シューレの方々の顰蹙買う覚悟で、以下のように宇野弘蔵を要約する。

全然、マルクスしらん人のための基礎知識

マルクスという人は資本論書いた人だったんですけど、彼は革命家でもあったわけです。そんで、ドイツ人だったんだけど、左翼活動して当局に目つけられて、ドイツにいられなくなって、イギリスに亡命しました。そんで、「おー、資本主義ってこんなんか。ドイツも将来こんな社会になるんか」と驚いて、経済学いっぱい勉強して資本論書きました。

それで、マルクスが死んだあと、修正主義論争っていうのが、起ります。くわしくは知らないんですが、ベルンシュタインっていう人が、マルクスの路線じゃあかん。革命よりも議会で多数派とることで、社会主義を実現しましょうと主張して、カウツキーというひとが「てめーのいっとることは、資本論よめば、おおまちがいだとわかるんだよ」と反論しました。

そんで、ちょっとたつと、ヒルファーディングという人が、金融資本論という本を書きます。その当時、カルテルやら、コンチェルンやら、独占的な組織がめだってきており、要するに資本論に書いてないようなことが、現実経済で目立つようになります。宇野の主張にしたがえば、この本は「最近の出来事も資本論には直接書いていないけど、資本論の延長で説明できる」という主張であったようです。それから、レーニン(もちろん、ロシア革命やった人です)が帝国主義論という本を書きます。彼はヒルファーディングが観察した現象を「資本主義の最高の段階としての帝国主義」と名付けます。この「段階」という表現は宇野においてキーワードですから、憶えときましょう。

あー、それと、昔の革命家って、勉強家だったんですね。ここで名前あがった人達って皆革命家でかつ、学者だったわけです。非合法活動しながらなのに、すくなくとも日本の平均的な政治家or経済学者の100倍くらい勉強家なのはあきらかです。みなさん見慣らいましょう。

位相図による宇野理論の位置付け

宇野の主張は、マルクスの死後の状況はマルクスの理論によっては直接説明できないということです。マルクスは基本的にはイギリスに典型的にみられるような資本主義は各国に波及していって、各国の内部でもどんどん、資本主義的傾向は強まり、その資本主義化の絶頂において、資本主義が崩壊し、共産主義への移行がはじまると考えていたようです。宇野は資本論は基本的にこの絶頂における資本主義を記述したものであると主張し、資本論の対象であるような資本主義を純粋資本主義と呼びました。

したがって、宇野にとって、資本論の対象は19世紀のイギリスのつよめつつあった傾向を仮想的に極限までつよめた結果見いだされるものであって、一種の定常状態といえるでしょう。そのような立場にたてば、定常状態の記述と、定常状態への漸近過程の説明はまったく別ものですから、定常状態の記述から現実の定常状態への漸近過程を記述すること、ようするに、資本論によって現実の歴史を説明することを拒否しました。

宇野が念頭においていた、もう一つの事情は金融資本論帝国主義論を生み出だすにいたった、マルクス死後の状況です。宇野はマルクスの死後は純粋資本主義への漸近傾向はむしろ阻害され、しかも、早期に資本主義化したイギリスと比較的遅れて資本主義化がはじまったドイツでことなる傾向があることを見いだしました。それで、宇野はマルクス死後の状況は純粋資本主義から乖離過程と見做しました。

したがって、宇野はマルクス死後の状況についても、ヒルファーディングのように直接資本論から現状を分析しようとする議論を否定して、レーニン帝国主義の「段階」という表現に着目しました。マルクスの死後顕著になった傾向は、純粋資本主義への漸近過程ではなく、そこからの乖離過程なのですから、ことなる傾向が見いだされるはずであり、その傾向の切り替わりをあらわす用語として、レーニンの段階という言葉を採用しました。

宇野とヒルファーディングらの経済学者、宇野の立場のちがい(宇野から見ての)は図のように説明できるでしょう。

左側がマルクス、あるいは、ヒルファーディングらの主張のイメージです。彼らは、資本主義経済はある一定の状態に近付きつつあり、そのゆきついた先で革命が起り資本主義が崩壊するとかんがえました。位相図で書けば、安定的な均衡点にむかって、各国の経済が漸近していくプロセスが資本主義経済の歴史としてとらえられます。

この点については、マルクスヒルファーディングらは違いはないのですが、宇野は両者で資本論でとかれている理論の位置付けがちがうと考えました。資本論はあくまで、かれらの考える資本主義の行き付いた先である、宇野のいう純粋資本主義を記述したものであり、それは歴史のプロセスを説明したものではないと主張しました。したがって、資本論にふくまれる歴史の記述と純粋資本主義についての理論(原理論)は区別されるべきであるとしました。

そのように資本論の位置付けをしたうえで、宇野はマルクス死後の状況はマルクスの予想をうらぎったと考えました。この状況は図の右側のようにあらわすことができます。純粋資本主義の状態は鞍点としてとらえることができるでしょう。

評価

えー、ええかげんですので、興味のある人はアマゾンあたりで、伊藤誠さんあたりの本でもさがしてください。

宇野の資本主義のイメージと資本論の位置付けをもとにすれば、資本論の理論は直接歴史に適応できないという主張はただしいといわざるをえません。宇野にとっての資本論の対象は微分方程式による動学の分析における定常状態にあたるもので、定常状態がどのようなものであるかわかっても、システム全体のふるまいはわかりません。

ただ、宇野の主張について、あきらかに違和感を感じるのが、宇野が経済理論の対象を純粋の資本主義、つまり、我々の微分方程式の比喩における定常状態に限定して考えていることです。これは物理学の例にあてはめれば、奇異な主張になるのはあきらかです。つまり、物体が地面におちて止っている状況は理論の対象であって、地面に落るプロセスは理論の対象ではないと主張していることになります。

それと宇野の議論は資本主義がはやかれおそかれ崩壊するということを議論の前提にしているのはあきらかでしょう。純粋資本主義の乖離の過程のゆきつく先は社会主義であると無意識的に想定していたことはあきらかです。ただ、この点については、宇野の図式が含まれるもっと複雑な位相図を考え、宇野はその位相図の一部しか見ていなかったと考えれば、よいような気がします。その位相図がどんなんであるかは、議論になるでしょうが。

このあたりはくわしく知らんのですが、宇野シューレからもいろんな問題提起があるようです。

ここまで読んだ人で、マルクス経済学に興味がない人は全然関係ない議論と思うかもしれませんが、私は少くとも間接的には90年代以降の主流派経済学の状況と宇野の問題というのは関係が深いと考えています。90年代、マクロ経済学をミクロ的に基礎付けようとする動きと、ゲーム論の進展が同時に主流派の経済学の中で進行しました。ゲーム理論は多様な組織形態や市場構造を分析可能にし、多くの経済学者にとって、新古典派的な経済学の勝利としてうけとられました。

ゲーム理論であきらかになったことは、ゲームのルールとして記述される市場構造や組織形態がちょっとちがえば、まるっきりちがうゲームの解が導きだされることです。これは現実の経済がかなり多様でありうることを示唆するものです。

ところが、どういうわけか、このようなゲーム理論の「勝利」はなぜか、ゲーム理論以前の完全競争市場による分析への自信をもつよめているように思えます。まっとうに考えれば(えー、あなたたちはまっとうでないのです)、ゲーム理論の示唆する多様な経済状況のどれが現実にあてはまるのかということを考えるべきとなるのでしょうが、どういうわけだか、ゲーム理論ミクロ経済学勝利→市場経済万歳(ここでゲーム理論わすれて完全競争)というへんちくりんな思考回路がまんえんしていると思います。(まっとうな経済学者が皆無だと主張するわけではありません。と、逃げておこう)

これは、ゲーム理論によって多様な状況を分析可能になったにもかかわらず、「総体としての経済が現状でいったいどうなの」という問いに誰も答えていないからだと思います。宇野はそれへの回答は宇野にとってのマルクスがしたように現実の資本主義経済の運動の傾向から抽象するという方法をとりました。宇野の方法の妥当性は別として、少くとも、宇野が90年代以降の主流派経済学が軽視した問題を提起しているのはまちがいないと思います。

追記

えーと、松尾匡先輩は濱口さんも指摘しているとおり、資本主義絶頂→革命説の大御所であります。宇野学派についてどう思っておられるか、おひまなときにでもコメントもらえればうれしいです。

参考

革命的労働ビッグバン主義者万歳!: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/shucho4.html