成長、利潤、レント(1)

構造改革ってなあに?: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

濱口さんとの議論の私なりのまとめです。47thさんとの経済発展の勉強が全然すすんでませんが、私のほうではとても関係が深いと考えています。ちょっとづつ、書いていきます。先のエントリでは、経済学において実体主義と流通主義の区別は無意味だろうと結論しましたが、現在は成長とレントに関しては実体主義と流通主義の区別は意味があると思っています。

それとこれはオリジナルとは思えないので多分誰かがいっているのでしょうが、市場の均衡化作用の速度と経済成長の動因であるイノベーションインセンティブとはトレードオフの関係にあります。これはローマーが知的所有権の独占によるR&D投資のインセンティブと市場の厚生の間のトレードオフと結論はよく似たものとなります。

利潤ゼロもしくは正常利潤

もともとの話は経済学における実体主義と流通主義という問題でした。剰余の源泉について、実体主義と流通主義という立場があるという区別があるという濱口さんのお話を承けたものでした。私の結論はそれは無意味であるということでした。先のエントリの結論は実際は余剰、あるいは利潤の源泉についての議論になっており、エントリ中でも「成長の源泉あるいは余剰の源泉」というような表現がありますが、この議論は実際には成長の源泉については述べられていません。

この議論で私はマルクス経済学における正常利潤、あるいはマーシャルの長期におけるゼロ利潤の状態を想定しました。結論を引用します。

生産面での生産物額最大化問題と、流通面の競争において実現される費用最小化問題の解は同じであり、流通面で決まる価格がコスト割れをする生産物は実物面からみた効率的な生産においても生産量はゼロになり、生産面で総量が必要量を上回る、つまり超過供給が解消されない財は流通面でも価格はゼロになることが示されます。実質的に、実現された状態を観察するとき、それが実物面を直接コントロールした結果生じた結果なのか、流通面における市場競争によって実現された状態なのかは、区別がつきません。

生産技術が複数ある場合、あるいは生産される財が複数ある場合、単純に実体的に生産性やら、余剰やら、国民所得やら計算することはできません。何がどのように生産されるのかによって、それらの値は変わるのであって、市場経済を前提にする場合それらが財の取り引きと関係なしに決まるわけがありません。かといって、技術的条件は企業の生産に要する費用を通じて取り引き量に影響をあたえます。したがって、流通(市場)における価格決定はつねに技術的要因を背景としているのです。

この議論は一見あまりにも新古典派的ですが、もとのエントリでは、マルクスでも同様な解釈が可能なことを松尾匡氏の著書を参考にして述べています。この状況は新古典派成長モデルでは技術進歩のない黄金率の定常成長に対応しています。そこでは人口一人あたりのGDPは一定となり、人口成長率と同じ成長率でGDPは成長します。その条件のもとで、一人あたりのGDPは最大化されます。

この成長経路は景気循環あるいは価格の調整によって、長期的に実現されるものと解釈すべきです。このあたりについては松尾匡さんの「セイ法則体系」、あるいは置塩信雄「現代経済学」の新古典派成長理論を批評した論文を参照ねがいます。


しかし、現実の経済では一人当りのGDPはトレンドとして、教科書タイプというか通常の新古典派成長モデルでは技術は外生とおいています。しかし、現実には技術進歩は企業によって利潤を目的とした新技術の導入によってなされます。そしてある企業によって導入された新技術は一定の期間を経て、経済全体に波及します。外生的な技術進歩を仮定しているモデルはこのような波及のプロセスはすくなくとも、明示的には分析されません。新技術は一定の頻度で発生し、なおかつ、波及プロセスも一瞬ですんでしまうと解釈するのが自然に思われます。

この波及プロセスを明示的に分析した経済学者が少なくとも二人います。それはシュンペーターマルクスです。私のおおざっぱな学説史の知識からは二人の主張の違いは全然わかりません。私が理解しているシュンペーターマルクスの技術の導入のプロセスは、マーシャル風味で説明すると以下の通りです。新技術が導入された時点で、導入された企業は所与の価格体系で他の企業よりも、多くの利潤を得ます。この状況で新技術を導入した企業の生産量は増え、十分な数の新技術を模倣する企業が増えるにしたがって、生産性の向上により市場全体の供給量は増え、その結果、価格は下がり、新技術を導入できない企業は正常利潤を下回ることにより、市場から撤退をはじめます。それと同時に新技術を導入する企業は増得ます。新技術を導入する企業の数はそれらの企業が正常利潤より高い利潤をえられるまで増え続け、最終的にはあたらしいゼロ利潤条件が達成されますそこでは、企業の利潤率は以前と同様の正常利潤の水準にありますが、生産性の上昇によって、供給曲線は右方向に、つまり供給量が増える方向にシフトするため、結果としてより安い価格で、より多い数量の財が生産されるようになります。これによって経済全体の厚生が高まります。

以上では新技術は模倣可能と仮定しました。以上の議論は模倣のスピードが相当遅くても成立ちますが、そもそも他の企業に模倣が困難な技術があります。一つは特許によって保護された技術です。第二にある企業でしか役にたたない時術です。たとえば、ある企業に特異体質の人がいて、その人を仕事前に頭を思いっきりぶんなぐると生産性が2倍になるとしたとしましょう。そんなひとは他の会社にはいませんから、この新技術は他社には応用不可能です。こんな変な例でなくとも、たとえば、会社ごとにその会社の文化のようなものがあったとすれば、ある会社での人間関係のスキルの向上は生産性を増大させますが、その企業でしか活用できません。したがって、そうした新技術は他社には模倣不可能です。このような他者に模倣不可能な技術の導入は上のような調整過程がはたらかず、企業は導入時点の利潤の増加をほぼ永遠に享受できます。このようにして正常利潤を上回って得られる利潤をレントと呼びます。それとは違い、新技術の導入から、新たなゼロ利潤への移行の過程で企業が一時的に享受できる利潤をマルクスの用語を拝借して、特別利潤とここでは呼びます。

ある新技術が導入される時点での利潤の量は、それが最終的にレントとなるか、他の企業に模倣され、一時的な特別利潤であるかには影響をうけません。したがって、ただで導入できる技術であれば、それが最終的にレントになるのであれ、模倣されるのであれ、正常利潤を上回る利潤をえるのであれば企業は導入するでしょう。しかし、新技術の開発には通常努力(それに見合った賃金)や開発費用といった費用を伴います。したがって、それがレントとなるか、他の企業に模倣されるか、あるいは、模倣されるとすれば、どの位のスピードで模倣されるか、あるいは、ゼロ利潤に到達するまで、どれくらい時間がかかるかについての予想は企業の新技術導入のインセンティブに影響をあたえます。ここで、注意すれば、模倣のスピードが速くても、市場の価格メカニズムの調整スピードが緩慢であれば、企業は長期間に渡り特別利潤を享受できます。したがって、模倣のスピードだけではなく、価格メカニズムの調整スピードも企業の新技術導入のインセンティブに影響をあたえます。

他方で、新技術の成果が経済全体で享受できる状況は新技術が同じ市場に行きわたり、なおかつ、正常利潤(ゼロ利潤)の状態が達成された時点です。したがって、技術の導入を所与として考えれば、新技術が普及しなおかつ正常利潤ににまでゆきつくまでの期間が短いほど、経済全体の厚生にとって望ましいことになります。

したがって、新技術導入の頻度がそのインセンティブに左右されるとすれば、市場および技術の模倣の効率化のスピードと新技術の導入の頻度のスピードは反比例します。

えーと、多分、以上のことは多分だれかやってます。車輪の発明です。しかし、マーシャル、マルクスなりたい君には車輪の発明が一番楽しかったりするのです。