ポストケインズ派経済学研究会がいろいろあっておもしろかったこと

いろいろあって、とりわけ浅田統一郎先生から、是非ブログで紹介したい文献を教えていただいたりしました。年末に松尾さんとやりとりがあって以来、久しぶりにブログに書きたいことがたくさんでてきたのですが、東京からもどっても、無茶苦茶いそがしくて、そのうえ、おとついの経済教育学会でこんな仕事を俺なんぞがなんで引き受けるんだ的な仕事がきたりして、やっと時間ができてきたのだけども、現在、放心状態中なのです。

でも、書いておきたいことをためこんでいると精神的な便秘状態になりそうなんで、今後、ぼちぼち書いていくだろうことをちょっとだけ書いておきます。

懇親会で吉田雅明さんと吉原直毅さんとお話しできたこと

懇親会で吉田雅明さんと吉原直毅さんと数年来、おふたりにいいたかったことを直接話すことができたことがとてもうれしかったです。多分、すごく酔っぱらってしゃべっていたので、伝えたいことの10分の1もはなせてないのだけど、それでもとてもうれしかったです。

しばらくして気がついたのですが、吉田さんと吉原さんに私が感じていたことには、私自身の塩沢由典問題が根っこにあります。私の世代で塩沢由典先生*1の影響をうけた経済学研究者はとても多いのですが、あまりに衝撃がつよいためなのか、同世代できちんとそれを消化している人があまり多くないように感じています。吉原さんが『マルクスの使いみち』での塩沢理論の受容について書いていることは、塩沢先生に影響をうけながら、それを研究に反映しないまま、やりすごしている自分へのストレートな批判として感じられました。その一方で、吉原さんの塩沢先生の議論の評価は正直いってあまりに一面的なようにも感じました。言葉たらずですが、その面についての不満の一片をお伝えしましたつもりでした。

マルクスの使いみち

マルクスの使いみち

吉田さんは、私にとっては同世代の研究者のスターで、塩沢先生の影響を最も生産的な方向で開花させているお一人と思っています。過去の私のブログの記事にふれて「マーシャルになりたいんですね。僕はワルラスになりたいんです」といわれたときは、恥かしくて穴があったら入りたい気持になりましたが、学問的に尊敬していた方に学問の本筋ではないことでもおほめいただいたことは、とてもうれしかったです。

ケインズ―歴史的時間から複雑系へ

ケインズ―歴史的時間から複雑系へ

吉田さんにいいたかったことは、一般均衡理論にたずさわっている研究者のとりわけ、実証系、応用系の研究者はかならずしも、思想として一般均衡理論を支持しているわけではなく、彼等に対しては本質規定からの論争は生産的でないものになりがちではないかということです。

吉田さんは経済モデルとして適切な時間構造を反映したモデルの条件を明確に規定していますが、それを厳密にすると、おそらく一般均衡理論だけでなく、IS-LMモデルやいわゆるポストケインズ派のモデルの多く、マルクス派なかでもアナルティカル派や松尾匡さんの議論など、そうとう多くのモデルが不合格になります。再生産の表現としてとらえるには無理があり、なおかつ、同時的な連立方程式体系をとるモデルはすべて不合格なのですから。

しかし、たとえば、ポストケインズ派の中でさえ、時間構造に不適切さのあるモデルをつかうのは、彼らの時間構造への認識が吉田さんにくらべて不十分である面もあるにせよ、経済のような変数が多いシステムをとらえるうえで、それらを連立方程式として表現することが、自然で、容易な手段であることが大きいように思います。とりわけ、実証分野や応用分野では、たとえ今後、新古典派の本質規定が捨てられることがあっても、時間構造を単純化したモデルで経済をとらえようとする方向はなくならないように感じます。

経済が複雑系であることを認識したとしても、われわれの認識手段はそれをその複雑系のまま認識しようとするだけではすまないし、われわれは現実を過度に単純化した「地図」にしたがって現実に対処せざるをえない側面を、哲学の問題ではなく、経済学の方法の問題としてかんがえていくことができないのかというのが、私自身がぼんやりとですが、考えつづけていることです。

東京からかえってから、吉田さんにいただいた論文を読んだり、吉田さんの『ケインズー歴史的時間から複雑系』を読みなおしたりしながら感じたのは、吉田さんにひかれながら、自分がなぜ吉田さんのような方向の研究をしなかったのだろうかという疑問です。吉田さんは経済の本質規定から見直して、モデル構築をしようとしています。吉田さんの方向で直面するであろう困難は、それでできあがるモデルが新古典派のモデルのような明確な結論がストレートにでてくる種類のものではないことです。そこに踏み出すのはとても勇気が必要なことで、吉田さんは実際にその一歩をふみだしたのだと思います。この一歩がふみだせないヘタレ根性は私には日常的なことで、たとえば、マクロ動学で3変数になりそうだと、位相図かけないからやめてしまうような形で、このヘタレ根性はあらわれます。

ただ、私も年をとって、こんなヘタレた人生や学問のいきついた場が安心できる場所ではないことはわかってきたつもりではあります。自分のこととなると難しいですが、学生や自分の子供の冒険は多少は応援できるようにはなってきたようにも思います。今回、『ケインズ』を読みなおして、そろそろヘタレもやめようかなと感じはじめています。

岩井克人さんの講演

岩井克人さんの講演はとても刺激的でした。基本的には従来の岩井さんの主張にそったものでしたが、生の岩井さんの印象は従来感じてきた「単純な話を岩波的難解な表現でいう○カ」という失礼なイメージを破壊するものでした。生の岩井さんはとても饒舌で、わかりやすい説明を模索しながら、言葉をかさねて説明される方で、私が「岩波的難解さ」と感じていたものは、おそらく岩井さんの一生懸命につたえようとする努力の反映なのだろうと感じました。講演自体も、経済学の専門家でない方にも十分に刺激的なものであったと思います。

岩井さんは結論として、社会的安定と効率性・自由のトレードオフを提起しておられましたが、私はこれをトレードオフとらえるのは、理論的というより、感情として納得できないものを感じました。たまたまですが、最近、ダグラス・ラミスの『イデオロギーとしての英会話』のなかの「性の不自由について」という文章を読みました。ラミスさんの自身の見解というより、私が感じたことですが、社会生活のなかで性の自由を経験しようとすることは、とても危険なことです。にもかかわらず、そうした危険をさけながら、それでも満足できない性的な欲望を満そうとするところに、われわれの性の不自由さがあるように感じます。このような自由の追求と危険が分離できない状況は性以外の領域でもあるように感じます。そのような場面で自由と安全をトレードオフとして考えるとすれば、それは本当の問題から目をそらすことにならないかと感じるのです。

ただ、このような私のとらえ方も問題があり、たとえば、岩井さん自身が重視していうサブ・プライム危機以降の状況にかんしては、岩井さんの方向での示唆はとても有益なものと感じます。私のようなとらえ方にかたよると、むしろ、マクロ経済政策の意義を過小評価する方向にいってしまうように感じます。

スラッフィアンの皆さんに「スラッファってどうして偉いの?」と聞けたこと

アルゼンチンから報告にこられたセンバーさんをかこんでの二日目の飲み会のときに、大変失礼な質問を酔ったいきおいでしました。私の師匠の師匠は置塩信雄氏なのですが、置塩弟子筋の多くはおそらく、スラッファの「商品による商品の生産」より置塩信雄の「資本制経済の基礎理論」のほうが偉くて、スラッファの標準商品もなにがうれしんだかよくわからんという感じ方をしているのではと思います。そのことを卒直に表明してみました。

商品による商品の生産―経済理論批判序説

商品による商品の生産―経済理論批判序説

スラッファ自体への理解が不足しているので十分に理解できてないのですが、マルクスの転形問題の方向からスラッファを評価すると、スラッファの意義が十分に理解できない、その意味でスティードマンもスティードマンの筋でスラッファを理解している面がある塩沢由典先生も、転形問題にひきづられている面があり、正確にスラッファを継承しているとはいえないということが大筋であったと思います。

Marx After Sraffa

Marx After Sraffa

あとで思いだしたのですが、塩沢先生万歳であった学部卒業前の私に対して、山口大学の植村高久先生がくれたアドバイスを思いだしました。スラッフィアンである塩沢先生の方向で勉強するなら、スラファ編集のリカード全集でリカードの原理を読むことをすすめられ、スラッファの最大の業績は『商品による商品生産』であるよりも、マルクスの『剰余価値学説史』とはちがう観点のリカードがありうることをリカード全集の編集において明かにしたことだといわれました。このときのアドバイスの適切さにおどろくとともに、あー、ちゃんと勉強してればよかったと後悔しました。

浅田統一郎さんから紹介された論文

浅田さんから、「国債累積と財政金融政策のマクロ動学:不適切なポリシー・ミックスについて」(渡辺和則編『金融と所得分配』日本経済評論社所収)を教えていただきました。最近『危機の中で〈ケインズ〉から学ぶ――資本主義とヴィジョンの再生を目指して』が出版され、そこで小野善康さん、吉川洋さんと浅田さんの鼎談がしばしば話題になっていますが、そこでの浅田発言の元ネタとなる論文だそうです。いずれきちんと紹介したいと思います。

金融と所得分配

金融と所得分配

危機の中で〈ケインズ〉から学ぶ――資本主義とヴィジョンの再生を目指して

危機の中で〈ケインズ〉から学ぶ――資本主義とヴィジョンの再生を目指して

私の報告への有益なコメント

朝早くから、お聞きいただいてありがとうございました。浅田さんからは、スカスカの論文の内容を豊富化する方向でのコメントをいただきました。今後いかすことができればと思っております。

また、浅田さんには報告の司会もしていただき、とてもリラックスして報告にのぞむことができました。ありがとうございました。

吉田博之さんからのコメントにはヒックスなど動学モデルの古典にたちかえって、自分のモデルを評価する部分が手うすであったことを感じました。いちおう、大学院時代は私のほうが先輩ということになっていますが、実力の面でも、実績の面でも私のほうが吉田さんから学ぶ面が多くなっていることはいうまでもありません。昔の習慣からついつい先輩ズラすることもあるかもしれませんが、今後ともご指導よろしくお願いします。

その他

あと、松尾匡さんもホームページに書いていた、ポストケインズ派研究会主体でたちあげる電子ジャーナルも、広い意味での新古典派でなければ、若い研究者が業績をつくりにくい状況を打開するための大きな一歩になりうると思います。

松尾さんのお弟子さんの熊沢大輔さんには、機会があれば富山での政治経済学セミナーにも参加していただければ、うれしいです。星野富一さんもふくめて宇野派の方の参加もみこめますので、ご検討ねがえればうれしいです。来年度中ならば、旅費もこちらでおもちできる可能性もあります。それとリヤプノフの件ですが、これは熊沢さんの業績をあげる方針次第なのですが、今回の報告のような本格的なもの「宇野・伊藤「恐慌」モデルの動学」とは別に小ネタもという方針なのでしたら、熊沢さんに書いていただければ、私としても、おそらく、元祖の星野さんもうれしいです。私のほうは松尾さんからいただいてから、論文に反映する機会を逸っしてしまいましたので。以上の件、松尾さんともご検討ねがえれば幸いです*2

今回は名刺が全部なくなってしまいました。いままで、出張でつくってきた名刺が全部なくなるということなかったのですが、今回はここでふれられなかった方もふくめて、とても多く人と知りあえてとてもうれしかったです。

*1:このブログは研究者は基本的にさんづけですが、塩沢先生をさんづけする勇気がありません。

*2:これまでの経験から、松尾さんがメールチェックよりRSSリーダのチェックのほうが頻繁なのがあきらかですので、松尾さんがらみの連絡は基本的にブログに書くことにしてます。熊沢さんすみません。