『経済学と経済教育の未来』

濱口さんのブログよりもずっと遅い告知なってしまいました.
とりあえず,アマゾンへのリンクします.

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

経済学と経済教育の未来―日本学術会議“参照基準”を超えて

本書を推す
生物も社会も多様性を失うと滅びていく。
経済学も例外ではない。
金子勝(慶応大学教授)


経済学教育の画一化に抗して
本書の企画は,日本学術会議の経済学分野の「参照基準」の策定作業に対して多くの学会および研究者・大学教員が憂慮を表明した署名運動の中から生まれました。

多様性と創造性の促進こそが民主的な社会の基礎
ー経済学の社会性・創造性をとりもどすー
経済学教育の画一化とそれによる学生・生徒たちの視野の狭隘化は,経済学自体が社会科学としてもつべき多様性と創造的な発展の可能性を失わせかねません。

現在の大学での経済学教育の画一化への動きは,各大学,各学部レベルでの人事やカリキュラムをめぐる議論においても強い影響力を持っています。それは大学のみならず,中学,高校での社会科教育,ひいては市民の全般的な社会科学的リテラシーに波及しつつあります。経済学教育が一面的なものになることは,多様性と創造性を保証しながら協働していく民主主義的な社会の構築にとって誠に憂うべきことです。

学派・学会を超えた真摯な討論
本書は所属学会・学派を超えた執筆陣により,多様な側面から参照基準を検討してゆきます。『参照基準』問題の背景にある大学教育の「国際的質保証」の課題を批判的に考察し,標準的とされている経済学を中心とするカリキュラムを超える多様性を経済学が持っていることを伝えるとともに,経済学の教育の創造的可能性を探求してゆきます。

目次
まえがき 八木紀一郎
序論 経済学の「参照基準」はなぜ争点になったのか(八木紀一郎)
第1章 教育に多様な経済学のあり方が寄与できること――教育の意義を再構築する――(大坂 洋)
第2章 経済学はどのような「科学」なのか(吉田雅明)
第3章 マルクス経済学の主流派経済学批判(大西 広)
第4章 競合するパラダイムという視点(塩沢由典)
第5章 純粋経済学の起源と新スコラ学の発展――今世紀の社会経済システムと経済システムの再定義――(有賀裕二)
第6章 「経済学の多様性」をめぐる覚書――デフレと金融政策に関する特殊日本的な論争に関連させて――(浅田統一郎)
第7章 経済学に「女性」の居場所はあるのか――フェミニスト経済学の成立と課題――(足立眞理子
第8章 経済学の多様な考え方の効用――パート労働者の労働供給についての研究例から――(遠藤公嗣)
第9章 地域の現実から出発する経済学と経済教育――地域経済学の視座――(岩佐和幸)
第10章 主流派経済学(ニュークラシカル学派)への警鐘――経済理論の多様性の必然――(岩田年浩)
第11章 大学教育の質的転換と主体的な経済の学び(橋本 勝)
第12章 働くために必要な経済知識と労働知識(森岡孝二)
付録
大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準:経済学分野(日本学術会議
「経済学分野の教育課程編成上の参照基準」の審議について(岩本 康志)


卒直にいって,編者兼,執筆者の1名をのぞいて,豪華メンバーです.わざわざいわなくとも,なんですけど.

編者の一人として,内容に満足していることは,多くの論考が参照基準への異論をとなえながら,「主流派」の経済学へのスタンスとしては,かなりの幅広い立場をフォローするものになっていることです.この本全体のキーワードは多様性ですが,経済教育における多様性の必要性自体,多様であることが読んでいただければみてとれると思います.

私の文章についての執筆者個人としての補足ですが,草稿段階では,かなり岩本委員長ほか検討分科会各位への感謝の念を強調したものでした.その部分が圧縮されたのは紙幅の問題です.検討分科会が,少なくとも真摯に異論に向き合おうとされた誠意は疑いようがありません.このことは,橋本勝氏の論考でもふれられています.

ただ,その一方で,経済学的認識は相対化されうるものであるという根本的な学問観については,理解していただけなかったとも感じています.卒直に真摯に対応していただいても,こんな基本的な,あたりまえのことの部分が理解していただけないのかという失望感もあります.だけども,将来の見直しの機会にも,今回の真摯な態度を将来の検討分科会には継続していただきたいと思っております.