ニセ科学と宗教とか道徳について(多分つづく)

poohさん。あらためて、勉強不足おわびします。というわけで、poohさんの記事とか、弾さんのとか、きくちさんのとか読んでいます。

それで、弾さんの記事についてですが、ちょっと感想。えーと上のエントリで想像がつくでしょうけど、あんまりきくちさんを含めて反ニセ科学をしている人に対して云々というはちょっとねというのが正直な感想です。

弾さんが次のようにいっているのは、私なりに解釈しなおした上で賛成です。

しかし、実際のところ、我々は自然科学なしに道徳やしつけを設計することは出来ない。仮に保存則が成り立たなかったとしたら、所有権という概念を我々が得る事はなかったろうし、罪と罰という考えかたそのものが、囚人のジレンマの応用と見なすことも出来る。いくら我々が自由だといっても、それは物理法則が許す範囲での自由に過ぎない。私には移動の自由があるが、今から一秒後に月に移動する自由は宇宙が禁じている--少なくとも、物理はそう言っている。どうあがこうが、我々は宇宙という監獄の中の囚人なのだ。

別に自然科学である必要はないんだけど、世界に対する対応の仕方に我々は根拠を必要としている。なおかつ、弾さんは自然科学を一番ましな世界観と見なしているので、その立場からは道徳の根拠は自然科学となるのは自然でしょう。自然科学であろうがなかろうが、世界のなかで生きていくなかで道徳をふくめたなんらかの世界に対する作法が必要で、その作法はなんらかの根拠が必要なのでしょう。

そういう意味からいえば、私はきくちさんの

もちろん、僕もそんなものに自信はないのだけど、だからといって、自然科学に頼ったところでなにも教えてくれるはずはないことは知っているので。
kikulog

っていうのは、ちょっといただけない。自然科学に頼ったところでなにも教えてくれないのかもしれないけど、でなければ、何を頼ったらいいんでしょう。少くとも私は何にもたよれない状況で道徳とか、自分の生きかたを決めたくない。

でも、逆にいえば、私は自分の生きかたの指針を科学者にゆだねる気にはなれません。弾さんはもうちょっと自然科学者がいろいろ物いっていいんじゃないかというんだろうと思うけど、科学者が何をいおうが、私が何を世界観への根拠とするかは、自分で決めたい。

それで唐突なんですけど、最近、母親が死にかけてたんです。それで父親は母親のために、どんな治療がいいのかとか、今の医者はトンデモでないのかとか、○○病院はヤブだとか、いろんなこと、考えるわけです。それで父親も一応科学の素養があるんで、科学的に判断したいと思うんですけど、もう医学論文読めるわけでないし、医者によっていっていることバラバラだし、どの医者が正しいかもわからんしで、もう無茶苦茶になるわけです。そこできちんとした医者というか医学者がいたとして、私の父親に正しい医学的見解を伝えたとしましょう。そのとき、父親はヤブ医者より正しい医学者のいってることが正しいとどこで判断するんでしょうか。

たぶん、きくちさんのスタンスは私の父親が直面したような問題には薬にも毒にもなりません。きくちさんは「わたしは何もできない」といっているだけですから。私が父親の立場にたてば、端的に「うるさい」と思うだけです。となりの家で弾いてるピアノと一緒です。うるせえなあ。消音ペダルふんでいただけません?それ以上はきくちさんの問題です。他方で弾さんのほうが私の父親に通じるものがある。自分の世界観の根拠が必要なことがわかっている。世界とのつきあい方なんとかせんにゃあかんとわかっている。でも、だめなんですよ、やっぱり。

それで科学が正しいかどうか以前に、我々は自分の勉強してない科学は正しいかどうかわからんということを前提として、科学とどうつきあうか考えなければならない。それは科学者が何を言おうが、まず第一に科学に対する態度を自分の実存の問題として整理しなければならない。その場面ではニセ科学批判がどこを向いていようが、とりあえずはどうでもいいのです。それと弾さんは科学者が科学の正しさをすくなくともにおわすくらいのことができると思っているようだけど、そんなの科学とのつきあい方を決めかねている人にとっては無意味なんです。

弾さんはその辺のことを科学者に期待しているのかなと思います。でもそこは本当に個人的な問題なのです。この文脈でいえば、きくちさんに対してある意味ですごく失礼なことを言っているのです。ようはきくちさんのスタンスは私の父親とは接点がない。科学的判断が自分でできないが*1、科学を必要としている人間と接点がない。逆に弾さんのスタンスは私の父親とは接点がある。けど、正しい忠告ではありえない。だから、私は弾さんには文句をいいたい。きくちさんは私にとってはある意味どうでもいいのです。だから、ほっておいていいのです。きくちさんが何いおうが当事者主権です。

ただ、科学とどうつきあうかをクリアにしたうえではきくちさんらのニセ科学批判は有用だと思います。でも、私も、私の父親も、おそらく弾さんもそこまでいってないんじゃないでしょうか。

追記

えーと、poohさんがらみで私が何をいうべきか整理できてません。しばらくお待ちください。

*1:追記しました。きくちさんのコメントの意味がやっとわかりました。にぶくてごめんなさい。12日11:38