小野善康氏の方向でさらに、国民所得理論を改善する−無駄な公共事業はやっぱり効率性を高める(乗数ほどじゃないけど)


小野善康氏は国民所得理論を改善し、教科書的な設定では無駄な公共事業によって、一国で生産される財の価値の総計が増えないことを証明しました。でも、多分、不完全雇用のもとでは現実には無駄な公共事業でも、生産物の価値の総計は増えます。

ここでは、小野さんが否定していらっしゃる消費関数にもとづいて説明しますが、同様なことは小野さんのモデルでもおきます。

単純にいってしまえば、無駄な公共事業は金が政府のふところから、公共事業でやとわれる人々のほうにうつるだけなので、価値をもつ財の生産には関係なく、けっきょく、生産面まるっきりかわらないので、実質的な国民が享受できる財は変らないことになるのです。

もし、経済がロビンソンクルーソーのような単一の家計からなるような経済であれば、そのとおりです。しかし、現実の経済は単一のではなく、多数の家計からなり、その家計の間には貧富の差があります。不完全雇用の状態では失業している家計もあります。その元では、同額のお金がだれの手にわたるかによって、有効需要の水準が変化するのです。

ちょっと、消費関数を復習してみましょう。消費関数は所得水準が消費を決定する関数です。とうぜん、所得がふえれば、消費がふえるのですが、これはどうしてでしょうか。多くの教科書には、所得が増えるということは、皆がお金もちになることだから、消費がふえるんだという説明がありますが、まちがっていませんが、この説明は不十分です。失業が存在する場合、国民所得が増えることによる消費の増え方は2種類あります。ひとつは、雇用されている消費者が給料があがることによる所得の増加、二つ目は、失業者があらたに職を得ることによる所得の増加です。多くの教科書の説明では、第二の所得の増加がみすごされてしまいます。

さて、同額の所得の増加があったとしても、雇用量が増加しなければ、第一の所得の増加だけがおこり、第二の所得の増加はおこりません。逆に、すでに雇用されている人々の所得が変化しないかたちで、雇用量の増加をともない所得が増加するとすれば、第二の所得の増加のみがおこります。いうまでもなく、すでにお金をかせいでいるのうけとる一万円より、失業から新規に雇用された人の一万円のほうが、消費にまわる割合はおおきくなります。したがって、国民所得おなじ水準であっても、雇用量によって消費の水準はちがいます。

このことを考慮すれば、マクロの教科書の消費関数がいいかげんな部分があるのがわかります。消費は国民全体の所得水準だけでなく、雇用量に影響をうけるわけです。同額の所得ならば、雇用量が大きいほうが消費は大きくなります。したがって、不完全雇用の状況で国が直接的には生産にはいっさい影響をあたえず、失業者の所得を増加させる政策をしたとしても、消費を増やすことができます。その結果、財への需要がたかまり、民間部門の生産は増加します。したがって、無駄な公共事業は国民所得を増加させます。

応用問題として、日本のような高齢化による格差が増大している国での不況対策として、経済的には弱者とはいえない金持ち老人に税金をかけて、それを原資に失業給付をするというのも、有効需要を増やすのに効果があるはずです。これによって、消費性向の低い金持ちから、消費成功の高い失業者へ所得を移転することによって、有効需要が増えます。

くりかえしますが、ここでの議論は小野さんが否定する消費関数にもとづいていますが、金持ちが消費性向が小さく、貧乏人が消費性向が高いというのは、小野理論でもいえて、というより、小野理論の中心部分から容易に導かれます。*1したがって、小野理論でも、所得階層、あるいは失業者家計と就業家計を区別すれば、同様な結論になるはずです。この点を考慮すれば、不況期において、消費の観点からもっとも経済の効率性を高める所得の分布はほぼすべての家計についてフラットに所得が分布している状況でしょう。ベーシックインカムなんかも、不況対策として有効でしょう。

*1:すんごく、単純化すれば、不況期にデフレでも消費が増えないのは金持ちが消費しないからだというのが小野理論のポイントのひとつといえましょう。