甘えとかの問題なんですかね

はてな

だから彼らはいわば飼育しかされていない。ペットだからわがままは聞かれて当然だと思っている。ていうか聞かれて当然な要求は社会的にはそれは「わがまま」であるという意識がない。

大学の教員は彼らにそういう意味でサービスするつもりはないし、するべきではない

うーん。気持ちはよくわかるし、サービスも必要ないと思うんですけど。

甘やかすとか厳しくするとかいう問題じゃないいんじゃないでしょうか。今の学生って、というか、大人もふくめて、すべてにおいて甘やかされてる人っていないでしょ。私は最近、分裂気味なんで、他人も分裂気味な人として見てしまうことが多いんですけど、あんまり意欲のない学生って、能力がない部分ばかり評価をうけて、能力ある部分を評価うけてない人が多いように思います。たとえば、うちのゼミ生なんて、経済学と関係ない部分ですんごいがんばるんだけど、大学の成績が悪いんでコンプレックスに悩んでいる学生が数人います。彼らは試験でいい点とったりすれば、甘やかしてもらえるんだけど、試験でいい点とったりしないと甘やかしてもらえないような状況で育ってきたんだと思うのです。そうすると、分裂した人格の他人の評価を得たい部分ばっかり肥大して、本当にエネルギーもってる部分がへたってくるんじゃないでしょうか。その極端なケースが

要領の良い一部の学生は、実に自然に惰弱な学生としてのポジションを安定的に構築している。彼らは大人の世代が考えているよりずっと確信犯的です。

ということと思うのです。問題はこういう学生って、飯食えないですよね。授業うんぬんより、大学経営にとっては飯食えるようにするほうが重要だと思うわけです。

私が最近、ゼミの学生に聞いているのは、「あんたのご飯かせげるのは、他人の評価ほしがってる部分?、それとも、その楽しそうに好きなことやってる部分?どっち?」ということです。飯を食うためには経済学や経営学の授業をまじめに聞くことなんてそんな大層な意味をもっているわけじゃありません。とりわけ、ゼミ生なら単位さえそろえてくれたら、本人のがんばれる方向に進んでくれるのが、私にとっても、本人にとっても一番の関心事です。そのためには、自分のエネルギーを注げる部分への正当な評価ができないとだめだし、それができれば、経済学や経営学の教室からは出ていくかもしれないけど、就職活動なんか、割と安心して見てあげれると思っています。

まあ、そんなにすぐわかってもらえません。私自身、学会と縁切るなんて決意してやっとちょっとまともになったかなっていう程度ですから。