震災の資金調達問題で経済学音痴を検出するリトマス試験紙
[追記]こんなん読む時間があったら、松尾匡氏の以下の記事を読んでください。
国債の日銀引き受けで利子率が上がるだって?
[追記(重要)]コメント欄の松尾匡氏のコメントを必ず御読み下さい。大坂が経済音痴で、このリトマス試験紙で検出されるバカがさらに重症な経済音痴であることがわかります。
日銀の国債の直接引受けに与謝野とか野田とか毎日新聞とかが反対してます。また、ブログなんかで「国債の直接引受けなんかいってるのは経済を知らんやつ」だとか、「ハイパーインフレになる」とか、貨幣の信認がうんぬんとかいろいろいわれています。
今回、原発問題で私自身よくわかったのですが、自分の専門以外の分野については、大抵のひとは、しゃべっている人が本当にその分野の知識を持っているかぜんぜんわかりません。国債の引き受けについて、政界一の財政通といわれている与謝野さんなんかが言語道断といったり、日銀総裁の白川さんが反対してたりするんで、経済が専門でない方々は「あー、専門家のいってんだから、本当なのか」と思ってしまいがちなんですが、ああいった人のいってることって本当に信用できるんでしょうか。
昨日、Googleのリアルタイム検索を駆使して、いろんな震災以降の国債引き受けについてのブログ記事なりを漁ってみました。国債引き受けに反対して人*1の半分くらいは、マクロ経済学の初歩も知らないことがよーくわかりました。とりわけ、国債直接引き受け論者をくちぎたなく、「経済のド素人がいっていること」とこきおろす奴にかぎって、マクロのド素人であることが確認できました。
本当は具体的に「コイツはバカ」と名指しで指摘たいのですが、いそがしいのと、メモをとりながら作業をしなかったので、今回はやりません。リトマス試験紙となるバカ発見法をこれから説明しますので、私のように品がないことが嫌いなかたは、上品に増田あたりで、匿名でバカを晒し者にしていただければ、とってもうれしいです。
本題にはいる前にちょっとだけ註釈ですが、私は国債の直接引き受けが大規模におこなわれた場合に貨幣の信認がなくなるという議論のすべてがアホであるとは考えていません。ただ、貨幣がどうして信認されるのかということについての決定的な定説はまだないと理解しています。そういう分野での発言は、相当長い論文でも書くのでなければ、いったもん勝ちになりがちです。そのうえ、私が読んだかぎりでは、どういうフレームワークで貨幣の信認を考えているのかよーわかりません。正しいこといってたとしても、こっちとしてはお手上げなのです。もしかしたら、今後ノーベル賞*2級の革命的で正しい理論にもとづいて発言されている方もいるかもしれませんが、単に偏見で物をいっているバカのと区別がつきません。
では、バカ発見のためのリトマス試験紙の説明にはいりましょう。次のような主張をしている奴がかなりいます。
今回の震災では国債を大量に発行してでも資金を調達する必要はあるのは認める。しかし、日銀が大量に国債を引き受けると利子率の上昇をもたらして、経済を混乱させるだろう
[追記]以下の二つの段落の不適切さが松尾さんに指摘されてます。コメント欄参照。
正しい面から指摘しましょう。日銀が国債引き受けようが、しまいが、大量の国債発行は国債利子率を上昇させ、それが金利一般の上昇にむすびつく可能性が大です。それはただしいといえます。
国債も国債市場で売買される商品ですから、市場の需給で値段が決ります。国債がたくさん発行されると、ありがたみはなくなり、値段が下る可能性は非常に高いでしょう。国債の利子は利払い÷国債価格ですから、国債の価格が下れば、国債の利回りは上ります。
でも、上のような主張する人は国債を大量に発行する必要性は半ば認めているのです。少くみつもっても10兆円規模の震災のための政府支出を大部分増税でカバーしようというアホは自民党の一番エラいはずの彼くらいのものです。
そうすると、問題は発行された国債を日銀が引き受けるとどうなるかです。単純に考えて、新規発行される国債の大部分を日銀さんが買ってくれるほうが、国債の価格が下らないですみます。市場に出回る国債の量は増えないのですから。日銀が引き受けるとしても、国債の価格というのは将来の期待が反映しますので、市場にでまわっている国債が増えなくても、発行された国債全体の量がふえることが、国債のありがたみをへらしてしまうという効果は否定できません。しかし、同じだけの国債が発行されているもとなら、日銀が引き受けのほうが利子率の上昇は小さくてすみます。
これって単純な理屈ですね。良い子のみなさんはみんな理解しましたね。でも、国債引き受けに反対している人の多くはわかんないようです。だから、良い子はマネをしないでね。
私自身は日銀の直接引き受けが絶対的に必要かどうかはちょっと判断保留です。したほうがいいんじゃないかと思っていますが、たとえば、全部直接引き受けにしなくてもいいという議論も理解できます。
ただ、はっきりしていることは、震災対策の政府支出はどんな方法であれ、大量に、早急に、そして、かなりの部分を国債発行によってまかなわれる必要があるということです。
補足1:「将来世代への負担」もリトマス試験紙かも
直接関係ないですが、「国債発行は将来世代への負担」という人達の半分くらいは経済学音痴なのではないかと思っています。
これをいう人の多くは、国家の借金がふえることは、国家を家族にたとえれば、お父さんがサラ金から借金している状態のように考えています。もし、日本の国債の多くが外国にかわれている状態なら、そのとおりですが、日本の国債の問題はそうではありません。国債のほとんどは、日本にいる人が買っています。家族にたとえれば、家計全体としては外に借金がない状態で、お父さんが子供に借金している状態です。
たしかにお父さんが子供から借金してばんばんキャバクラ通いしたりすれば、お父さんはいいでしょうが、子供はお小遣いをほとんどつかえません。これはこれでこまったことです。(まあ、お父さんと子供が経済的に対等なら貸さなきゃいいんですが)しかし、将来という点でいえば、お父さんが借金をふみたおしたまま死んでしまわないかぎり、借金は将来もどってくるわけです。お父さんが子供から借金するのと、サラ金から借金するのは全然ちがいます。将来でいえば、いまつかえなかったお小遣いはかえってきますし、お父さんの返済が確実で、なおかつ、お母さんがお父さんの借金と同じ利子率で貸し付けをしてくれるなら、子供はかっぱえびせんを買ったりもできるのです(リカードの中立命題)。